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マシン刺繍の糸調子を安定させる:「手の感覚」から作る多針機の基準
多針の業務用ヘッドを回していると、糸調子の乱れは「見た目が悪い」だけで終わりません。高価な糸が無駄になり、製品を廃棄することになり、結果として“針の子守り”に時間を取られて生産が静かに落ちていきます。
現場で押さえるべきポイントはシンプルです。糸調子は勘ではなく、摩擦と引っ張り合い(バランス)で決まります。
ここでは、上糸つまみが2か所(上側+中間)あり、ボビンケースが独立している「標準的な回転釜(ロータリーフック)系」の業務用ヘッドで使える、再現性の高い基準出し手順をまとめます。デモは tajima 刺繍ミシン を例にしていますが、考え方自体は多くの多針機に共通です。
手順の優先順位は次の通りです。 1) ボビン(全針共通の土台)→ 2) 上糸(針ごとに変動する要素)→ 3) テスト縫い(結果で確定)



予備知識:「良い糸調子」とは何か(感覚と見え方)
初心者がやりがちなのは、糸調子を「強く締める/緩める」の話だと思い込むことです。実際は締め具合ではなく、上糸と下糸(ボビン糸)のバランスです。
サテン柱(バー/Hテスト)のようなテスト縫いでは、次を基準に見ます。
- 見た目の基準: 刺繍を裏返し、下糸(白)が中央に“細い帯”として出ているか。目安は「1/3ルール」=色糸 1/3・白(下糸)1/3・色糸 1/3。
- 触感の基準: 糸が生地に食い込みすぎない(締まりすぎ)/裏でループがだらっと出ない(緩すぎ)。
量産の鉄則: 針ごとの微調整に入る前に、必ずボビンを疑ってください。下のボビンケース1つが原因なのに、15本分の上糸つまみを触り始めると、あっという間に時間が溶けます。
Part 1: ボビンのドロップテスト(基礎の基礎)
ボビン糸調子は土台です。多針機では、全ての針が同じボビン糸と引っ張り合うため、ここがズレると全針に同じ傾向の不具合が出ます。上糸つまみをいくら触っても、ボビンが緩すぎれば裏でループが出やすく、締まりすぎれば糸切れや引き込みが増えます。



Step 1: ボビンケースに正しく糸を通す
テスト前に、まず「糸道が正しいこと」を作ります。糸調子バネの下に糸くずが噛むと、調子が狂っているように見えます。
- 清掃: 糸調子バネ周辺の糸くずを取り除きます(エアやブラシ等)。
- ボビン装填: 新しいボビンをケースに入れます。
- スリットに通す: ボビン糸を側面のスリット(隙間)に滑らせるように入れ、抵抗が出る位置まで引き出します。
- チェックポイント: まったく抵抗なくスルスル抜ける状態はNGです。引くと「抵抗が乗る」感触が必要です。
Step 2: 「ヨーヨー」ドロップテスト(重力で確認)
このテストは、手の力加減のブレを減らし、重力で摩擦の状態を見ます。
- 吊るす: ボビン糸の端を持ち、ボビンケースが空中にぶら下がるようにします(落下しても安全な場所で)。
- 軽く揺らす: 手首を小刻みに、一定のリズムで“トントン”と揺らします。
- チェックポイント: 強く引っ張って落とすのではなく、ヨーヨーのように「軽く揺らして、少しずつ動く」状態を狙います。
合格の目安:
- 適正: 揺らすたびに、ボビンケースが約1/4インチずつ下がる。
- 締まりすぎ: ほとんど落ちない。
- 緩すぎ: すぐにストンと落ちてしまう。
「1/4インチ」基準を採用する理由
この手法では、落下量を「約1/4インチ」に寄せて、ややコントロール寄りの基準を作ります。多針の業務用運用では、まずこの“基準点”を作ってから、必要に応じて上糸側で追い込みます。
Part 2: ボビン調整ネジを安全に微調整する
ドロップテストが外れたら、ボビンケース側のネジで調整します。初心者が失敗しやすいのは「回しすぎ」です。



「極小」調整ルール
- ネジの確認: ボビンケース側面の大きめのマイナスネジを使います。
- 微調整: ほんのわずかずつ回します。
- チェックポイント: デモでも強調されている通り、1/4回転は大きすぎです。まずは“ほんの少し”を繰り返し、都度ドロップテストで戻り確認します。
注意: 機械が動作中に調整しないでください。回転釜周辺は危険です。ネジ溝に合ったドライバーを使い、溝を潰さないようにします。
Step 3: ピッグテール(コイル状ガイド)に通す
ドロップテストで基準が出たら、ボビン糸をボビンケース上部のコイル状ガイド(いわゆるピッグテール)に回してから機械に戻します。
- 通す: ボビン糸をコイル状ガイドに回します。
- 戻す: ボビンケースを所定位置に装着します。
Part 3: 上糸は「クォーター硬貨3枚分」の引き抵抗で合わせる
ボビンが基準に入ったら上糸側です。狙いは引き抵抗が一定で、引っ掛かりがないこと。上糸つまみが2か所ある機種では、片側だけ強くすると糸が引っ掛かったり、擦れて毛羽立ちやすくなります。



Step 1: 2つの上糸つまみを「同じだけ」動かす
- 前提: まず正しい糸掛けができていることを確認します。
- 均等: 調整が必要なときは、片方だけを大きく動かさず、両方を同じ量だけ動かす意識で合わせます。
Step 2: 手で引いて「抵抗の質」を覚える(手の基準作り)
- 引く: 押さえ周辺で上糸を手で引き、スムーズに引けるか確認します。
- 感覚の基準: デモの表現が分かりやすいです。「USクォーター硬貨を3枚重ねて糸で縛り、ツルツルの面を引きずる」程度の抵抗を目安にします。
引いたときの診断:
- 引っ掛かる/ガサガサする: 糸道のどこかで引っ掛かり、またはつまみのバランスが崩れている可能性。まずは糸掛けとつまみの均等を見直します。
- 抵抗がほぼ無い: 糸がテンション部から外れている可能性。糸掛けをやり直します。
Part 4: 15本針のバー/Hテストで「どこを触るべきか」を確定する
手の感覚は重要ですが、最終判断はテスト縫いです。バー(サテン柱)やHテストのようなスウォッチを縫い、裏面を見て判断します。



Step 1: 見る場所を決める(裏面が真実)
スウォッチを裏返し、各バーの中央に下糸(白)がどれくらい出ているかを見ます。
Step 2: 裏面の出方で原因を切り分ける
- 下糸(白)が多すぎる(白い帯が太い): 上糸が締まりすぎ。
- 下糸(白)が少なすぎる(色が支配的): ボビンが締まりすぎで、上糸が引き込まれている可能性。
判断ロジック:全体(グローバル)か、特定針(アイソレート)か
業務用刺繍ミシン の現場で時間を節約するコツはここです。
- 列全体をざっと見る。
- パターンA: どの針も同じ傾向で崩れている。
- 判断: グローバル要因(ボビン側)を疑う。
- 対応: 上糸つまみを大量に触る前に、ボビンケースに戻ってドロップテスト。
- パターンB: ほとんどの針は良いのに、特定の針だけ崩れている。
- 判断: アイソレート要因(その針の上糸側)を疑う。
- 対応: その針の上糸つまみで微調整。
トラブル対応:症状→原因→その場の対処(早見表)
機械の前で迷わないための簡易マトリクスです。
| 症状 | チェックポイント | ありがちな原因 | その場の対処 |
|---|---|---|---|
| 引きがガクガクする | 手で引くと引っ掛かりがある | 上糸つまみのバランス不良/糸道の引っ掛かり | 2つのつまみを均等に見直し、糸掛けを確認する |
| 裏がループだらけ | 裏面がモジャモジャ | 上糸テンション不足 | 上糸つまみを締め方向へ。糸がテンション部に入っているか確認 |
| 下糸が表に出る | 表面に白が出る | 上糸が締まりすぎ/ボビンが緩すぎ | まず上糸を緩める。改善しなければボビンを見直す |
| 糸切れが増える | 連続して切れる | 締まりすぎ/糸道の抵抗過多 | 糸掛けを再確認し、上糸を緩め方向へ |
| 糸が絡んで止まる | 針板下に糸だまり | 上糸がテンションを失っている | いったん糸掛けを最初からやり直し、引き抵抗を再確認 |
どの調整を先に触る?(判断手順)
上から順に確認します:
- 全ての針で同じ症状か?
- YES: ボビンケースを外し、ドロップテスト→ボビンネジを微調整。
- NO: 次へ。
- 特定の針だけの症状か?
- YES: その針で手引きテスト→上糸つまみを微調整。
準備:機械の横に置く「糸調子キット」
つまみを回し始める前に、必要なものを機械の横に固定します。探し物が減るだけで、調整の再現性が上がります。
必需品
- 小型のマイナスドライバー: ボビンネジは微調整が前提です。溝に合うものを用意します。
- 清掃用品: 糸くずは糸調子不良に見える原因になります。
- 予備針: 針穴の傷や曲がりは糸切れの原因になります。
準備チェックリスト
- 回転釜周辺の糸くずを除去
- ボビンがスムーズにほどける状態か確認
- 糸掛けがガイドから外れていないか確認
セットアップ:基準出しプロトコル(順番固定)
変数を減らすため、順番を固定します。精度が求められる Tajima 刺繍ミシン の運用ほど、この順番が効きます。
セットアップチェックリスト
- 1. 清掃: ボビンケース周辺を清掃
- 2. ボビン: 糸通し→ドロップテスト(約1/4インチずつ落ちる)
- 3. 上糸: 手引きで「クォーター3枚分」の抵抗を基準にする
- 4. テスト縫い: バー/Hテストで裏面を確認
運用:フィードバックループ(回しながら監視)
スタートを押して放置せず、短い間隔で確認します。
音での監視
- チェックポイント: 一定のリズムで安定しているか。
- 注意: いつもと違う高い音や不規則さが出たら、糸がガイドから外れた/テンションが崩れた可能性があります。
品質確認
定期的に裏面を見て、下糸(白)の帯が安定しているか確認します。
運用チェックリスト
- テスト時は低〜中速で開始
- 途中で一度停止し、裏面を確認(1/3ルール)
- 問題があれば「判断手順」に戻る
まとめ:迷ったら「ボビン→上糸→テスト」の順
この手順は、当てずっぽうではなく物理(摩擦)と手の基準で再現性を作るためのものです。
- ボビンが先: ドロップテスト
- 上糸が次: 手引きテスト(クォーター3枚分)
- 最後に確定: バー/Hテストの裏面
量産で安定させるほど、調整は「大きく動かす」より「小さく、戻り確認を挟む」方が速くなります。手順を固定し、糸道を清潔に保ち、感覚とテスト結果を一致させていきましょう。
