目次
Bernina 790 PROの概要
キルトトップを何十時間もかけてピーシングしたのに、最後の「枠内キルティング」で針落ちが2mmずれて縫い代に当たり、最終盤で台無しになる——この感覚、現場ではよくあります。私はこれを「刺繍屋の不安」と呼んでいます。
実際のキルティングは、机上の図形どおりにはいきません。生地は伸び、縫い代は厚みを作り、バイアスは歪みます。ブロックは“完全な正方形”であることの方が稀です。にもかかわらず、通常の配置方法で「完璧なデジタルデザイン」を「不完全な実物ブロック」に押し当てると、縫い代に針が入る(=ほどく地獄)に直結します。
本稿では、Bernina B 790 PROのワークフローを単なる機能紹介で終わらせず、ピンポイントレーザーと4点位置合わせ(モーフィング)が、歪んだブロックの“現実”をどう吸収するのかを分解します。さらに、機種を問わず応用できる「手の感覚」「安全確認」「失敗しない段取り」まで落とし込みます。

この記事で身につくこと(重要ポイント)
- モーフィングの考え方: 4点位置合わせで、ブロックの歪みにデザインを追従させる手順
- 物理的な保持: 重いキルトサンドをクランプ式の考え方で安定させる(枠の選び方の判断材料)
- 「安全マージン」ルール: 1/8インチ(0.125")の余白が縫い代ヒットを防ぐ理由
- スタートの作法: 下糸(ボビン糸)を引き上げて、裏の糸玉(バードネスト)を防ぐ順番
- 音と挙動の観察: 厚物を縫うときに“正常”を判断するための手掛かり
対象読者: 中級者で「勘の配置」から「再現性のある精度」に移行したい方。小規模工房で、位置ずれによるやり直し・廃棄を減らしたい方にも向けています。
新機能の全体像
今回確認する要素は次のとおりです。
- ピンポイントレーザー: 針落ち位置を視覚的に確認
- 4点位置合わせ: 実物の4隅に合わせてデータ側を歪ませる(モーフィング)
- Medium Clamp Hoop: 内枠で押し込むのではなく、クランプで保持する方式
- Stitch Precision 2: 糸調子・糸取りまわりの改良(安定性に寄与)

静音性と速度(“音”で異常を拾う)
Bernina 790 PROは静音性が特徴として語られますが、現場では「静か=快適」だけでなく「静か=安全のサイン」でもあります。キルトサンド(トップ+バッティング+裏布)のような厚物では、異音が出た時点で“どこかが無理をしている”可能性が高いからです。
チェックポイント(感覚で見る)
- 音: 低く一定のハミング音が理想です。鋭い「カチカチ」や鈍い「ゴツゴツ」が出る場合、厚い縫い代で針が逃げている/当たっている可能性があります。
- 速度の目安: 速く回せても、キルトサンドでは無理をしない方が安定します。スピードを落とすことで、糸が3層を抜けてループを作る時間が確保でき、針のたわみも減ります。
注意:手の安全手順。 配置確認の移動(
Checkボタン等)と、縫い始めの最初の10針は、針周りに手を入れないでください。厚物は押さえ周辺に指が挟まれやすく、糸端を追いかけて指を近づけるのは危険です。
4点位置合わせとは?
4点位置合わせは、ミシンを「プリンター(押すだけ)」から「仕立て(合わせる)」に変える考え方です。通常の配置は“生地が完璧”である前提ですが、4点位置合わせは“生地は歪む”前提で、デザインを合わせにいきます。
ブロックに合わせてデザインをモーフィングする
画面上で指定した4点(実物の角)を座標として取り込み、ソフト側がデザインを数学的に歪ませます。ブロックが台形なら、キルティングパターンも台形に追従します。

生地の歪みを前提にする(なぜ効くのか)
ブロックが歪む主因は次のとおりです。
- バイアスの伸び: 斜め方向は扱いで伸びやすい
- 縫い代の厚み: 角の高さが変わり、見た目の交点がずれる
- 枠張り由来の変形: 一般的な枠で引っ張ると角が内側へ寄ることがある
現場のコツ: 角を取るときは、生地の“外周の端”ではなく、縫い代の交点(糸が交差する点)に合わせます。裁ち端は不揃いになりやすい一方、交点は見た目の幾何学が成立している「基準点」だからです。
ピンポイントレーザーの使いどころ
ピンポイントレーザーは、生地上に明確な点を出して針落ち位置を見せます。針を斜めから見てしまうことで起きる見誤り(視差)を減らせるのが利点です。

針先レベルの精度
一般的には、針を手回しで下ろして「どこに刺さるか」を確認します。しかしキルティングでは、一度刺すだけでも穴が残ることがあります。レーザーなら、刺さずに“針落ちの予定位置”を確認できます。
角合わせの順番(デモの流れ)
デモでは、次の順で時計回りに合わせています。
- 右上: 大まかな基準合わせ
- 右下: 伸び/スケール方向の補正
- 左下: 斜行(スキュー)の補正
- 左上: 最終確認

オペレーター視点: 多機能ノブでレーザーを動かすときは、動きが粗すぎないかを確認します。狙いは「だいたい」ではなく、交点に“点が乗る”状態です。
Medium Clamp Hoopの利点
デモで使われているのはMedium Clamp Hoopです。ここは「一般的な刺繍枠」との違いとして押さえておくべきポイントです。

厚いキルトでも保持しやすい
クランプ保持の考え方: 一般的な丸枠/楕円枠は、内枠と外枠で生地を挟み込む“圧縮”が基本です。キルトサンドでは、この圧縮がバッティングを潰し、枠跡(つぶれ・テカり)や層ズレの原因になります。
一方、クランプ式は“摩擦”と“テンション”で端を保持し、中央をフラットに保ちやすい構造です。バッティングのロフト(ふくらみ)を潰しにくく、変形も抑えやすくなります。
枠跡を減らす(保持方式が変わると結果が変わる)
仕上げ後に、蒸気でも戻らないリング状のつぶれが出た経験があるなら、それが枠の見直しサインです。厚物やデリケート素材ほど、保持方式の影響が出ます。
ツール見直しの考え方(痛み→判断→選択)
- きっかけ(困りごと): 厚物で通常枠が閉まらない/締め付けがつらい/枠跡が出る
- 判断基準: 1ブロックの枠張りに時間がかかりすぎる、またはクランプ枠が使えない(高価・非対応など)
- 選択肢: マグネット刺繍枠のような、押し込みを減らせる保持方式を検討する
注意:マグネットの挟み込み危険。 強力なマグネットは勢いよく吸着し、皮膚を挟んだり爪を痛めたりします。必ず持ち手や指定の位置を持って扱ってください。医療上の注意: 強い磁石はペースメーカー等から少なくとも6インチ離してください。
手順で再現する:配置〜縫いまで(SOP)
ここからは、デモを現場用の標準手順として組み直します。

事前準備(画面を触る前)
枠内キルティングは「準備が9割」です。ファイルを読み込む前に、最低限ここを整えます。
チェックポイント
- 作業台の支持: キルトがテーブルから垂れ下がると、その重みで位置合わせがズレます(レーザーが合っても、縫い中に引っ張られる)。
- クランプの固定: デモではクランプを複数使って層を押さえています。保持が甘いと途中でズレます。
hooping station for embroidery machine
事前チェックリスト(重要)
- 下糸準備: ボビンが正しくセットされている
- キルトサンド確認: トップ/バッティング/裏布が大きくシワになっていない
- 保持具確認: クランプが確実にかかっている(緩みがない)
画面で角を選ぶ(4点位置合わせ)
- 画面で4点位置合わせを選択します。
- 物理チェック:キルトがテーブルから落ちて引っ張られていないことを確認します。
- 画面で右上を選び、レーザー点を“縫い代の交点”に合わせます。
- 同様に、右下→左下→左上の順で合わせます。

チェックポイント: 4点すべてで、レーザー点が交点に正確に乗っていること。ズレている場合は、角の取り直しを優先します。

安全マージンを入れる
ここが仕上がりを分けます。デモでは0.125"(1/8インチ)のマージンを追加しています。
- 理由: 4点位置合わせでも、生地は縫いで引き込まれます。境界ギリギリに合わせると、わずかな引き込みで縫い代に触れやすくなります。
- 対策: 1/8インチ内側に入れることで、意図した“溝(ガター)”ができ、縫い代ヒットを避けやすくなります。

下糸(ボビン糸)を引き上げる(きれいなスタート)
ブロックの最初の一針は、オートカット任せにしない方が安定します。
- 操作: 針を一度下ろして上げ、上糸を引いて下糸ループを表に引き上げます。
- 理由: 下糸端が裏に残ったままだと、最初の数針で裏に糸玉ができやすくなります。開始点は手で糸端を管理する方が確実です。

セットアップチェック(縫い開始直前)
- 位置合わせ: 4点すべてでレーザーが交点に合っている
- マージン: 境界がブロック内側に入っている(マージン適用済み)
- 糸端: 上糸/下糸を軽く保持できている、または処理済み
- 支持: キルトが垂れ下がらず、テーブル上で支えられている
縫い:Quilt Settingsと最初の数針
デモではQuilt Settings(黄色のアイコン)を使用しています。結び止めが厚くなりにくいよう、細かいタイイン(微小な留め縫い)になる設定として紹介されています。

チェックポイント: 最初の数針は必ず観察します。糸が引っ掛かる、上糸がガクガクする場合は、厚みと糸調子が合っていないサインです。
運転中チェック(縫っている最中)
- 音: 一定のリズムで、異音(カチカチ/ゴツゴツ)がない
- 引きずり: 刺繍アームがキルトの重みと戦っていない(支持が足りている)
- 縫い目: 表で縫い目が安定している(沈み込みすぎ/裏糸の引き上がりがない)
Stitch Precision 2(現場での意味)

新しいフック機構(安定性に関わる)
「Stitch Precision 2」は、フック(ボビン周り)などの機構改良として紹介されています。オペレーター側の体感としては、縫いの安定性に寄与します。ただし、機構が良くても、糸掛けミスや保持不良は別問題です。
スマートな糸切り(助かる場面/助からない場面)
ジャンプ糸の処理が賢くなるのは便利ですが、キルティングでは裏面も必ず確認します。裏に長い糸端が残る場合は、後工程でのトリミングが必要になることがあります。
現場メモ: 量産や反復作業になるほど、ボトルネックは「枠張り」と「位置合わせ」に寄ります。枠固定台を使うと、毎回同じ位置・同じ姿勢で保持しやすくなり、作業のばらつきを減らせます。
品質チェック(外す前に確認)
枠から外す前に必ず確認します。一度外すと、同じ位置に戻すのは困難です。

- つなぎ目: 開始点と終了点が不自然に目立たない
- 裏の糸引き: 裏に上糸が引き出されていない(上糸調子が緩すぎない)
- 表の裏糸露出: 表に下糸が出ていない(上糸調子が強すぎない)
- フラット性: ブロックが反ったり、器状に“つる”ような変形がない(保持が甘いと起きやすい)
ツール見直し(安定性の問題が出る場合)
- きっかけ: 縫い途中でわずかにズレる/ソフト上は合っているのに柄が合わない
- 判断: クランプ式は点で保持するため、重さや引き込みで弱点が出ることがある
- 選択肢: マグネット刺繍枠のように周方向で連続的に保持できる方式を検討する(弱点が出にくい)
トラブルシュート(症状→原因→対処)
設定をいじる前に、まずは「安くて早い物理対処」から潰します。
| 症状 | ありがちな原因 | すぐできる対処(低コスト) | 予防 |
|---|---|---|---|
| 裏に糸玉(バードネスト) | 上糸の糸調子が崩れた/下糸端が固定されていない | 糸玉を切って、押さえを上げた状態で上糸・下糸をかけ直す | 最初の数針は糸端を保持する |
| 針が折れる/曲がる | キルトの引きずり/厚い縫い代に速い速度で当たった | 針交換。速度を落とす | キルトをテーブルで支持し、垂らさない |
| カチカチ音が出る | 針が針板や枠に当たっている可能性 | 直ちに停止。 枠の固定、針の曲がりを確認 | 枠のロック確認、針の直進性確認 |
| 位置がずれて縫い代に当たる | 生地端に合わせてしまい、交点に合わせていない | ほどいて、レーザーで交点に合わせ直す | 基準は常に「縫い代の交点」 |
| 枠が外れる/閉まらない | 厚物に通常枠が不向き | クランプ枠等に切り替える | 無理に通常枠を使わない |
仕上がりイメージ(この手順で狙えること)
ピンポイントレーザーで針落ちを可視化し、4点位置合わせと安全マージンをセットで運用すると、「合うはず」ではなく「合う状態を作る」に変わります。

保持方法を選ぶための実務フロー
次の流れで判断すると迷いにくくなります。
- 厚いキルトサンドか?
- NO: 通常の刺繍枠+必要に応じてスタビライザー
- YES: 次へ
- 手首負担が大きい/反復量が多いか?
- YES: マグネット式など、着脱が速い保持方式を検討
- NO: 次へ
- 機種純正のクランプ枠が使えるか?
- YES: デモ同様にMedium Clamp Hoopで運用
- NO: 代替の保持方式(マグネット等)を検討
最終的な合格基準
狙うのは、柄がブロック中央に安定して入り、全周で1/8インチの余白が揃い、バッティングが潰れず、開始/終了が目立たない状態です。安全で、繰り返せて、やり直しを減らせる——それがこのワークフローの価値です。
