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ボビンテンションが「仕上がりの土台」になる理由
業務用マシン刺繍で、トラブル対応が早い人ほど徹底している原則があります。「ボビン(下糸)が正常だと証明できるまで、上糸テンションつまみは触らない」です。
多針刺繍機で急に調子が崩れると、下糸が表に上がる/サテンが硬くロープ状に見える/裏面が鳥の巣になる……といった症状が出て、つい上糸テンションを回したくなります。
しかし brother pr1055x のような精密機では、基準を崩すと「本当は5分で直る原因」を、何時間も追いかけることになりがちです。
刺繍の糸調子は、上糸と下糸の綱引きです。下糸側(ボビンケース)が汚れで引っ掛かっていたり、逆にスカスカに滑っていたりすると、上糸側だけをいじっても安定しません。
現場でストレスなく直す流れは、次の順番で一直線です。
- 確認:ボビンケースのテンションを測る(ウェイト落下テスト)
- 清掃:糸の通り道を整える(スタビライザーで“フロス”)
- 診断:条件を揃えた試し縫いで上糸を判断(「B」テスト)


この記事で身につくこと(防げる失敗)
この手順を一度ルーティン化すると、次ができるようになります。
- 「落下テスト」を正しい持ち方で再現できる:ボビンケースの向き(ネジが上・右寄り)が結果を左右する、見落としやすいポイントを固定化。
- 見えない詰まり(微細な糸くず)を除去できる:ボビンケースの板バネ(リーフスプリング)下の糸くずを、スタビライザーで安全に掻き出す。
- サテン裏面の「1/3ルール」を読める:裏面の白い下糸の見え方で、上糸を締める/緩める判断ができる。
- 「糸調子に見える別原因」を切り分けられる:枠張り不良による生地のバタつき(フラッギング)を、糸調子問題と混同しない。
- 量産でブレを減らす考え方がわかる:手順(技術)で解決する範囲と、治具・枠の選定で変数を減らす範囲を整理できる。
注意: 機械安全。 釜周り(フック周辺)で清掃・点検・ネジ調整を行う前に、必ずミシンを停止してください。指が入っている状態で針が動くと、ケガやタイミングずれ等の重大トラブルにつながります。
Part 1:ウェイト落下テスト(下糸=基準)
メーカーが付属しているテンションウェイトは、「感覚」ではなく「再現性」で下糸テンションを確認するための道具です。指先の感触だけだと、その日の体調や持ち方で判断がブレます。
Step 1 — ウェイトの準備
ボビンをボビンケースに入れた状態から始めます。
- ボビン糸の糸端を取り、テンションウェイトにしっかり結びます。
- 現場のコツ: ここが一番やりにくい工程です。ほどけない結び方で、最後にキュッと締めてください。結び目が滑るとウェイトが落ち、床や足に当たる原因になります。
チェックポイント: ウェイトが糸にぶら下がり、自由に揺れる。 手応え: 軽く引いてみて、結び目がズレない(振り子のように安定している)。

Step 2 — 落下テスト(向きがすべて)
自己流でやっている方がつまずくのがここです。ボビンケースは左右対称ではなく、持ち方で内部の当たり方(摩擦)が変わり、落ち方が変化します。
手順:
- 糸端を、壁やキャビネットなどの「平らな垂直面」に軽く当てて保持します。
- 最重要: ボビンケースを、上面の2本のテンションネジが「上を向き」、さらに「少し右寄り」(目安:1〜2時方向)になるように構えます。
- ボビンケースをそっと離し、落ちる速さを観察します。
感覚の目安(動画の例):
- 緩すぎ:ストンと落ちて床まで一直線。
- きつすぎ:空中で止まる/糸を強く引かないと動かない。
- 適正:スルスルではなく、ゆっくり・一定の抵抗で滑り落ちる。
チェックポイント: ネジが上を向いていないと、糸の通り方が変わって「誤判定」になります。

落ち方の読み取り
- 自由落下に近い:テンションがほぼ効いていない。
- ほぼ動かない:テンションが強すぎる。
- ガタガタ/引っ掛かる:板バネ下に糸くずが噛んでいる可能性(Part 2へ)。
「巻きボビン」と「自分で巻いたボビン」の差
動画とコメントでも話題になっている変数が、ボビンの種類です。 磁性コアの巻きボビン(例:Magna-Glideのようなタイプ)を基準に使っている状態で、急に自分で巻いたボビンに切り替えると、落下テストの結果や縫い品質が変わることがあります。
- 磁性コアの巻きボビン:抵抗が一定になりやすい。
- 自分で巻いたボビン:巻き具合で抵抗が変動しやすい。
運用の考え方: 量産では「一貫性=利益」です。基本は同じボビン運用に揃えるのが安全です。どうしても混在させるなら、コメントでも提案されているようにボビンケースを2個用意して使い分け(ケースA=巻きボビン用、ケースB=自巻き用)すると、毎回の再調整を減らせます。
Part 2:見落としがちな原因(板バネ下の糸くず)
「ボビンが緩い気がする」からといって、いきなりドライバーでネジを回す前に止まってください。 多くの場合、ネジが動いたのではなく、糸くず(リント)が動いたのが原因です。
板バネ(リーフスプリング)の下に微細な糸くずが挟まると、バネが浮いてテンションが一気に変わります。
Step 3 — スタビライザー“フロス”清掃
金属ピンでこじる(傷が付く)/エアで吹く(奥に押し込む)は避けます。
- 厚手のスタビライザー(動画ではヘビーウェイト)を小さく切ります。
- その端を、ボビンケースの板バネの下に差し込みます。
- 糸の通り道に沿って、やさしく引き抜きます。
手応え: 歯間フロスのように、軽い抵抗があるのが正常です。引っ掛かるなら、そこにゴミがいるサインです。
期待する結果: 糸くずが少量でも取れる/もしくは何も付かずにスッと抜ける。動画でも、ここを清掃するだけで復帰した例があります。


メンテ用「持ち物チェック」(作業箱を分ける)
メンテ用品は、制作用品と混ぜずに専用化すると迷いません。
- 厚手スタビライザーの端材:板バネ下の“フロス”専用。
- エア/小型バキューム:釜周りの清掃用(ボビンケース自体に強く吹き込まない)。
- 白い下糸(ボビン糸):診断(Part 3)で見え方を判断しやすい。
- 新品針:針先の傷は糸調子不良に見えるため、変数として潰す。
Part 3:上糸テンション診断(「B」テスト)
下糸(基準)が固まったら、次に上糸を見ます。
Step 4 — サテンの「B」を使う理由
なぜ「B」なのか。
- 直線のサテン柱:裏面のレール(糸の引き込み)が読みやすい。
- カーブ:曲がりでテンションが破綻していないか出やすい。
- 開始・停止:止め縫いの乱れも見える。
ミシン内蔵のフォントから「B」を選び、問題が出ている針(色)に割り当てて試し縫いします(動画では複数針の確認にも使っています)。


Step 5 — 裏面で見る「1/3ルール」
縫い終わったら枠を外し、必ず裏返して確認します。表面だけでは判断できません。
1/3 - 1/3 - 1/3 の目安: サテン幅を3等分したとき、
- 左1/3: 上糸(色糸)
- 中央1/3: 下糸(白ボビン糸)
- 右1/3: 上糸(色糸)
- 白が多すぎる/白が表に出る:上糸が強すぎる、または下糸が緩い(もしくは汚れで実質緩んでいる)。
- 白が見えない(色だけ):上糸が弱すぎる、または下糸が強すぎる。


Part 4:糸調子に見える別原因(生地と枠張り)
診断がズレる大きな理由がここです。糸の引き合いが正しくても、生地が枠の中で動けば、糸調子不良と同じ見え方になります。
フラッギング(生地のバタつき)
枠張りが甘いと、生地が針の上下でバタつき、ループ・目飛び・サテンの緩みが出ます。
つまずきポイント: ネジ式の刺繍枠は、厚物(パーカー等)は抜けやすく、薄物や伸縮素材は枠跡(枠跡=枠の摩擦リング)や伸びが出やすい、という悩みが起きがちです。
対策の段階:
- レベル1(材料・手順):生地に合うスタビライザーを選ぶ。伸びる素材はカットアウェイで支える、織物は状況によりティアアウェイ。
- レベル2(道具):枠跡や滑りが頻発するなら、枠側の制約です。現場では マグネット刺繍枠 に移行して変数を減らします。
たとえば マグネット刺繍枠 のような用語は、量産の安定化を考える入口になります。ネジ式が「摩擦と締め付け力」に依存するのに対し、マグネットは上からの押さえ込みで固定しやすく、フラッギング要因を減らせます。
Brotherユーザーであれば、brother pr1055x 用 マグネット刺繍枠 や brother 用 マグネット刺繍枠 といった選択肢を検討すると、テスト縫い時に「生地が動いたのか/糸調子なのか」の切り分けがしやすくなります。
注意: マグネットの取り扱い。 工業用ネオジム磁石は強力です。指を挟むと危険です。ペースメーカー等の医療機器や磁気媒体からは十分距離を取ってください。
Part 5:調整(精密に追い込む)
ボビンが正常で、生地も安定していて、「B」テストで上糸がズレていると確認できたら、ここで初めて上糸テンションを触ります。
Step 6 — 「2クリック」ルール
brother 10本針 刺繍ミシン(および同系統の多針機)では、テンションつまみがクリック感で管理できます。
手順:
- 問題の針番号を特定します(例:5番針)。
- 締める:右回し(時計回り)。
- 緩める:左回し(反時計回り)。
- 増減は2クリックずつ。
- 再テスト:同じ条件で「B」を隣に縫って比較します。
なぜ2クリックだけ? クリック数が記録になり、戻すのも簡単です。大きく回すと基準が崩れて迷子になります。


赤いラインが見えたら止める
左に緩めすぎると、つまみの軸にある赤いラインが見えてきます。
- すぐ止める:それ以上緩めると、つまみが外れることがあります。
- 対処:外れても破損とは限りません。押し戻して、右に回して噛み合わせます。
金糸(メタリック)の例外
動画でも触れられている通り、金糸は硬く、摩擦に弱い糸です。
- 金糸を使う針だけ糸調子が崩れる場合は、ボビンをいじるより上糸側を緩める判断が現実的なことがあります。
- 上糸テンションつまみだけでなく、上部のテンション系(プレテンション側)も緩めると改善するケースがあります。
トラブル対応マトリクス(症状→原因→順番)
低コスト(やり直し)から順に潰すための目安です。
| 症状 | ありがちな原因 | 対処(順番) |
|---|---|---|
| 鳥の巣(裏で糸が絡む) | 糸掛け不良(テンション皿に入っていない等) | 1. 上糸を最初から掛け直す(糸道を確認)。<br>2. 糸道の糸くずを清掃。 |
| 下糸が表に出る | 上糸が強すぎる/下糸が緩い・汚れ | 1. ボビンケース板バネ下をフロス清掃。<br>2. ウェイト落下テストで下糸を確認。<br>3. 上糸を2クリック緩めて再テスト。 |
| 落下が速すぎる(ウェイトテスト) | ボビンケース側が緩い | ボビンケース上の「大きい方/くぼみのある方」のマイナスネジを少し締める(右回し)。 |
| つまみが外れそう/外れた | 緩めすぎ | 押し戻して右回し。赤ラインが見えたら止める。 |
| 金糸が切れる/糸調子が出ない | 標準テンションが強すぎる | 上糸テンションとプレテンションを大きめに緩める。 |
| デザインが少しズレる/輪郭が合わない | 生地の滑り(枠張り不良) | 1. 枠張りを見直す。<br>2. 刺繍用 枠固定台 等で固定条件を揃える/マグネット刺繍枠で変数を減らす。 |
15分で回すメンテ&診断ルーティン
週の始め、またはシャツ50枚以上の連続運用前に、同じ順番で行うとブレが減ります。
準備チェック
- 釜周り清掃:糸くず除去(必要に応じて注油)。
- ボビンケース点検:外して欠け・傷・糸噛みを確認。
- 板バネ下フロス:スタビライザー端材を通す。
- ウェイトテスト:ネジが上・右寄りの向きで実施。結果=ゆっくり滑る。
セットアップチェック
- スタビライザー選定:伸縮=カットアウェイ、布帛=用途によりティアアウェイ。
- 枠張り:張りはあるが伸ばしすぎない(安定しないなら枠の見直し)。
- 針:新品針で変数を減らす。
運用(Bテストのループ)
- 問題の針で「B」を縫う。
- 裏面を見て1/3ルールで判断。
- 上糸テンションを2クリック調整。
- 隣にもう一度「B」を縫って比較。
まとめ
Brother PRシリーズを安定運用するコツは、機械いじりの上手さよりも「順番を守るオペレーション」です。ボビン(下糸)の基準をウェイトで確認し、板バネ下の糸くずをスタビライザーで除去し、「B」テストでクリック数を管理して追い込む。
そして、スタビライザーや brother pr1055x 刺繍枠 のような“変数を減らす道具”を組み合わせると、再現性が上がります。
糸調子は勘ではなく、確認できる物理現象です。ウェイトで確かめ、フロスで整え、クリック数で追い込みましょう。
