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自立する3D刺繍(フリースタンディング)の基本
自立する3D作品は、初見だと「どうやって形が立つの?」と感じるほど、硬くて構造物のように見えます。初挑戦では、「ミシンが噛みそう」、「位置合わせが合わない気がする」と不安になりがちです。
ただ、現場目線で言うとポイントは明確です。3D刺繍は“センス”ではなく、再現できる工程設計で成り立っています。基本は「硬さを作る芯材(内側)+水溶性の支持体(外側)+最後に縁をロックするサテン」で、層を正しく組むこと。
このチュートリアルでは、51314 Freestanding Valentine’s Mailboxを「インザフープ(ITH)」方式で作ります。OESD Fiber Formと、水溶性スタビライザーを二層で使う構成が核です。
さらに、実作業で差が出る“手触りの判断”も言語化します。枠張りが適正な張りになっているか、枠跡(枠の圧痕)を出さないための判断、道具に無理をさせて精度を落とす前に何を見直すべきか。1個だけ作る場合でも、量産(例えばイベント用に複数個)でも、狙いは「不良ゼロ」と「形状の剛性」です。

必要な材料:この作品は“スタビライザー主導”
動画の材料レイアウトが示す通り、このプロジェクトはスタビライザーが主役です。衣類刺繍では布が糸を支えますが、自立作品ではスタビライザー自体が“基材”になります。土台が弱いと、完成後に形が保てません。

動画で使用しているもの(主要材料)
- OESD Fiber Form: 形を作るための硬質芯材。構造の“骨”になります。
- OESD AquaMesh WashAway: メッシュ状の水溶性。縫製中の引っ張り強度を担当。
- OESD BadgeMaster WashAway: フィルム状の水溶性。表面を支えて沈み込みを抑えます。
- OESD StabilStick CutAway: 粘着付きのカットアウェイ。アップリケ用の布を腰のある状態にします。
- OESD Expert Embroidery Tape TearAway: 芯材を“動かないように固定”するために重要。
- 505 一時接着スプレー: 型紙をFiber Formに貼ってカットするため。
- コットン生地&Luxe Sparkle Vinyl: 見た目(表皮)を作る素材。
- 刺繍糸: 40wtのポリエステルまたはレーヨン(赤/白)。
- 色を合わせた下糸(ボビン糸): 必須。 両面が見えるため、最後の縁かがりで白ボビンは使えません。
- ブラッズ: 旗パーツの取り付け用。
動画に出てくる工具
- 刺繍ミシン: 単針(多針でも可)。
- 刺繍枠: 楕円枠(標準5x7以上)。
- Grippy Grid Mat: ずれにくい位置合わせ用マット。
- カーブ(アップリケ)ハサミ: ビニールの際切りで糸を切らないために有効。
- OESD Expert Punch Tool: 組み立て用の穴をきれいに抜く。
- ボタンクリップ: 組み立て時の“第三の手”。

見落としがちな消耗品&事前チェック
「夜遅くに足りないと気づく系」を先に潰します。
- 新品針: 動画では針番手の指定はありませんが、Fiber Form+ビニール+複数スタビの重なりを縫うため、消耗した針は不利です。作業前に新品へ。
- 糸切りバサミ: 糸処理を即時に。
- ピンセット: ビニールの小片などを縫い経路から除去。
- 水(すすぎ用): 溶け残りが出たときの追いすすぎに。
注意:枠跡(枠の圧痕)リスク
厚い積層(メッシュ+フィルム+芯材)を通常枠で強く締めると、素材によっては圧痕が出たり、無理な圧力で作業性が落ちます。枠の開閉がきつい/素材に白っぽいストレス跡が出る場合は、枠が過負荷のサインです。
標準の刺繍枠 刺繍ミシン 用を使う場合は、開始前に内枠の縁に欠けやバリがないか確認し、水溶性メッシュを引っ掛けない状態にしておきます。
ステップ1:型紙と布の下準備
ここで最終形状の精度が決まります。Fiber Form(芯材)のカットが歪むと、組み立て後の“箱”も歪みます。
1A) Fiber Formの芯材テンプレートをカット
- 印刷: テンプレートは100%(拡大縮小なし)で出力。
- 貼り付け: 型紙の裏に505を軽く吹き、Fiber Formに貼ります。
- カット: 黒線に沿って、長いストロークで滑らかに切ります。細かく刻むと縁がギザつき、後工程のサテンで覆いにくくなります。
- 剥がす: 型紙を剥がします。
チェックポイント: 切り口を指でなぞり、引っ掛かりが少ないこと。
期待される状態: 配置線の内側に無理なく収まる、きれいな硬質パーツ。

1B) StabilStick CutAwayでコットン生地を補強
- 剥離: StabilStickの剥離紙を剥がします。
- 貼り: 装飾用コットンの裏側に貼ります。
- 圧着: しっかり押さえて密着させます(浮きがあると縫製中に波打ちやすい)。
なぜ必要?: アップリケは縁のサテンで布を引っ張る力がかかります。裏打ちが弱いと、縁でつれ(パッカリング)が出やすくなります。
チェックポイント: 角を少しめくってみて、簡単に剥がれないこと。
期待される状態: 布が“ハリのある板状”に近づき、頼りない柔らかさが減ること。
量産で同じ位置に安定して貼りたい場合は、刺繍 枠固定台を使うとセンタリングのばらつきが減り、やり直しや材料ロスを抑えやすくなります。
ステップ2:芯材を活かす枠張りと固定(最重要)
この工程が一番シビアです。水溶性スタビライザーの積層を、たるみなく枠張りします。
2A) AquaMesh+BadgeMasterを二層で枠張り
- 位置合わせ: Grippy Grid Matを敷きます。
- 積層: AquaMesh(下)+BadgeMaster(上)。
- 枠張り: ネジを十分ゆるめ、内枠に重ねたスタビを載せて外枠をはめます。
- 締め: 指でしっかり締まるところまで。
チェックポイント(張りの確認): 枠中央を軽く叩き、たるみがないこと。たるみがあると、位置合わせ(アウトラインと縫いが合わない)が起きやすくなります。
期待される状態: シワのないフラットな面。

現場のコツ: この厚みで枠を閉じるのがつらい/何回も枠張りすると手首が痛い場合は、作業性の限界です。こういう場面でマグネット刺繍枠は有効で、厚みのある積層でも均一に押さえやすく、締めネジ作業の負担を減らせます。
注意:マグネットの取り扱い
業務用のマグネット枠は吸着力が強く、挟み込みの危険があります。クランプ部に指を入れないこと。また、機器や磁気に弱いものへの近接は避けてください。
2B) 配置線を縫ってからFiber Formを置く
- 縫う: 最初の配置線(Placement Line)をスタビライザー上に縫います。
- 置く: 事前に切ったFiber Formを配置線の内側に合わせます。
- 固定: 角を刺繍用テープで留めます。針が通る位置には貼らないこと。
チェックポイント: 芯材が反って浮いていないこと。浮く場合はサイズが大きい可能性があるため、縁を少しだけ調整します。
期待される状態: 芯材が動かない。


2C) テープは“クランプ”として使う
テープは固定具です。デザイン外周でしっかり押さえ、針の走行ラインは避けます。粘着が針に付くと、糸切れや糸ヨレの原因になります。
繰り返しの位置決めを効率化したい場合、マグネット刺繍枠 用 枠固定台のような固定台で、置き作業を安定させる考え方もあります(スタビを保持しながら芯材を合わせやすい)。
ステップ3:下糸(ボビン糸)色合わせとサテン仕上げ
この作品は自立型で裏面も見えます。つまり、裏側の“工事感”を消す必要があります。
3A) Luxe Sparkle Vinylを置いて仮止め→際切り
- 置く: ハート部分に赤のビニールを載せます。
- 縫う: ミシンが仮止め(タックダウン)を縫います。
- 取り外し: 枠から外さずに、枠ごと作業台へ。
- 切る: カーブハサミで縫い線ギリギリを切ります。
チェックポイント(際切り): 縫い線に近づけて切り、余りが残りすぎないこと。残りが大きいと、最終サテンで覆い切れず“生地端”が見えます。
期待される状態: きれいな形で、最終の縁かがり待ち。


3B) 最終サテン前に、下糸(ボビン糸)を上糸色に合わせる
重要: 太いサテンの縁(最終の外周)に入る前に一度止め、白ボビンではなく上糸と同系色のボビン糸(赤)に交換します。
理由: サテンは縁を包み込みます。下糸が白だと、縁に白い点が出て(見え)やすく、完成度が一気に下がります。
チェックポイント: 下糸を引き出して上糸と並べ、色味が合っていることを確認してから再開。
期待される状態: どの角度から見ても縁がきれいに赤で締まる。

ステップ4:すすぎと仕上げ(溶かして“構造”を出す)
ここでスタビライザーという“足場”を外し、刺繍だけの構造体にします。
4A) ぬるま湯でAquaMesh/BadgeMasterを溶かす
- カット: 枠から外し、周囲に少しスタビを残して切り出します。
- すすぐ: ぬるま湯の流水で溶かします。
期待される状態: 水溶性が落ち、硬さのある刺繍パーツだけが残る。

4B) 平干し→プレス
- 乾燥: 平らに置いて乾かします(吊り干しは形が歪みやすい)。
- プレス: 乾いたら当て布をしてアイロン。
補足: プレスで糸と芯材の“形のクセ”が整い、角が出やすくなります。

ステップ5:組み立て(接着剤なしでロックする)
接着剤は使わず、刺繍で作られた機構で固定して立体化します。
5A) アイレット穴を抜く
- 下敷き: カッターマットの上で作業。
- 穴あけ: パンチツールを垂直に当てて抜きます。
- 確認: 穴の周りに残りカスがないこと。

5B) パーツを並べて結合
テーブル上で、前面/背面/側面/旗などを並べます。ボタンエット(刺繍の突起)と、アイレット(穴)を対応させます。
チェックポイント: 色や向きが合っていること(同じ色のタブ同士が合うなど)。

- 通す: ボタンエットをアイレットに押し込みます(きつめが正常)。
- 保持: すぐにクリップで保持し、次の箇所を作業します。
期待される状態: 自立し、形が崩れにくい立体構造になる。

準備(縫い始める前):実務チェックリスト
致命的な失敗を事前に潰す“プレフライト”です。
- 型紙: 印刷サイズが正しい(拡大縮小なし)。
- ハサミ: 切れ味が落ちていない(ビニールは鈍い刃だと裂けやすい)。
- ボビン: 作品色(赤)でボビンを用意(白だけで進めない)。
- 針: 新品針に交換済み。
- 作業環境: 505は換気して使用。
hoopmaster 枠固定台等の治具を使う場合は、この時点で固定位置を決め、各パネルが同じ基準で置ける状態にしておきます。
セットアップ:スタビ積層と道具選定
判断の目安:目的別の進め方
ケースA:「ギフト用に1個だけ作る」
- 方針: 標準枠で丁寧に枠張り。
- 重点: たるみを出さない。固定(テープ)を丁寧に。
- 注意点: 厚みで枠の開閉が重くなりやすい。
ケースB:「イベント用に複数個作る」
枠固定台を検討する際は、手持ちの枠サイズに対応しているかを先に確認すると、作業基準が作りやすくなります。
セットアップ確認(縫い始めOK?)
- AquaMesh+BadgeMasterがシワなく枠張りできている。
- 枠がミシンに確実に装着できている。
- 糸道に引っ掛かりがない。
運用:工程ごとの品質ゲート(止める判断を明確に)
- 配置線: 縫う(確認:配置線が歪んでいない)。
- 芯材+テープ固定: 置いて留める(確認:針の走行ラインにテープがない)。
- 仮止め: 縫う(確認:素材がめくれて押さえに引っ掛かっていない)。
- ビニール: 置く→縫う→際切り(確認:切り残しが大きすぎない)。
- 装飾縫い: 進める。
- ボビン交換: 停止。 上糸色に合わせたボビンへ。
- 最終サテン: 縫う(確認:縁に白い点が出ない)。
刺繍用 枠固定台系の治具を使う場合は、基準位置を動かさずに繰り返すことで、各パネルのX/Y基準が揃いやすくなります。
縫い上がり後のQC
- 表裏ともに、縁に白い下糸が目立たない。
- ビニール端がサテンで完全に包まれている。
- パーツが“ふにゃふにゃ”ではなく、形が出ている。
トラブルシューティング
| 症状 | 主な原因 | その場の対処 | 再発防止 |
|---|---|---|---|
| 縁と中の縫いが合わない(ズレ) | 枠張りのたるみ/芯材の動き | いったん停止し、固定状態を確認 | 枠張りを見直し、芯材は角を確実にテープ固定 |
| 縁に白い点が出る | ボビン糸が白のまま | 最終サテン前にボビンを交換 | 両面が見える作品は必ず色ボビンを準備 |
| 穴あけがきれいに抜けない | パンチが斜め/下敷き不足 | 垂直に当て直す | マット上で垂直に作業し、抜きカスを除去 |
仕上がり
正しく進めると、平面パーツが“接着剤なし”で立体構造になり、形を保ったまま完成します。
見た目の完成度を左右するのは、最終的には 枠張りの再現性 と 糸(特に下糸)の管理 です。枠張りで毎回苦戦する/張りが安定しない場合は、道具側で再現性を取りにいく(マグネット刺繍枠や固定台の活用)という考え方が、結果的に品質と作業効率の両方を押し上げます。
