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マスタークラス:多針ヘッドの「糸道」を理解する
正直なところ、家庭用の1本針から多針機に移ると、同じ「糸を通す」でも難易度が一気に上がります。多針機の糸掛けは、単なる作業ではなく、テンションを安定供給する仕組みづくりです。
業務用刺繍ミシンのヘッドで行っているのは、穴に糸を通すことではありません。コーンが抵抗なくほどけ、プレテンションで糸の暴れを抑え、主テンション(テンションディスク)が必要な抵抗を作り、センサー/チェックばね周りで糸の張りと検知を成立させ、天秤(テイクアップレバー)で縫いサイクルを成立させる——この一連が「糸道」です。
「急に糸切れが出る」「枠の裏で鳥の巣(ボビン側の糸だまり)が出る」「糸切れ検知が誤作動して止まる」。こうした症状で悩んでいる場合、ソフト設定をいじる前に、まず糸道の理解と再現性を固めるのが近道です。
このガイドでは、針位置1(Needle Position 1)の糸道を分解し、手触り・見た目で判断できるチェックポイントに置き換えます。さらに、2色目でも同じ品質で再現できるよう、段取りの考え方もセットでまとめます。
考え方:糸道は「車線」
多針ヘッドは、6車線(または10/12車線)の道路のようなものです。各コーンには、それぞれ決まった車線(針1〜6/10/12)があります。
- ルール: 車線をまたがない。
- 結果: 上部の糸立て(ツリー)で車線を跨ぐと、糸同士が擦れて発熱・摩耗し、途中で糸切れの原因になります。















重要ポイント:初心者が落ちる「3つの失敗箇所」
手順に入る前に、失敗が集中する場所を先に押さえます。ここを外すと、設定を変えても安定しません。
1) 主テンションディスク(「ブレーキ」)
ここがテンションの心臓部です。2枚の金属ディスクで糸を挟み、抵抗を作ります。
- よくある失敗: 糸を「そっと」挟んだつもりで、実はディスクの上に乗っているだけ。テンションがほぼゼロになります。
- チェックポイント: 糸を上下に動かして“フロス(糸をこすり入れる)”し、溝に落ちた感触を作ります。
- 手触りテスト: 針側で糸を引いたとき、明確な抵抗が出ます。スルスル引けるなら、ディスクに入っていません。
2) チェックばね(「ショックアブソーバー」)
テンションノブ付近(センサーの手前後)にある小さなばねで、針が下がる瞬間のたるみを吸収します。
- よくある失敗: 糸がチェックばねの効くルートを外れている。
- 見た目の確認: 縫製中、チェックばねが動く前提の構造です。動きが不自然なら糸道を疑います。
3) 天秤(テイクアップレバー)
上下する金属レバーで、縫いサイクルを成立させる要です。
- よくある失敗: 天秤の穴を通し忘れる。
- 結果: 針から糸が抜けたり、開始直後に糸だまりが出やすくなります。
注意:機械安全。 針棒周りで作業する前に、必ず機械を停止状態にしてから行ってください。指先が針穴付近にある状態で誤って動作すると危険です。
手順:針位置1(Needle Position 1)の糸掛け
ここからは「目的 → 作業 → 確認」の順で進めます。確認が取れてから次へ進んでください。
フェーズ1:供給側(糸立て〜最初のガイド)
目的: コーンからヘッドまで、引っ掛かりのない糸の流れを作る。
作業:
- 糸立てのスライダー調整: 上部のガイド(番号付きのスライダー)を、針位置1のレーンに合わせます。
- コーンをセット: コーンをピンに差し込みます。
- 最初の金属ガイド: 糸立て後方の金属四角ガイド(またはループ)に通します。
チェックポイント: コーンから糸がスムーズにほどけること。引くときに引っ掛かりがある場合は、コーン下部に糸が噛んでいないかを先に解消します。
フェーズ2:上部糸道(番号穴〜プレテンション)
目的: 上部アームからヘッドへ、正しいレーンで糸を落とす。
作業:
- 番号穴(1)に通す: 白い上部アームの「1」番の穴に通します。
- ヘッド上部へ誘導: 糸をヘッド側へ下ろします。
- プレテンションガイド: ヘッド上部の金属クリップ(プレテンション)に通します。
チェックポイント: 「1」番の穴に入っていることを目視で確認。レーン違いは、後工程で原因不明の糸切れ・誤検知につながります。
フェーズ3:テンションとセンサー(最重要)
目的: 主テンションディスクに確実に糸を座らせ、センサー/チェックばねのルートを成立させる。
作業:
- 主テンションノブにしっかり掛ける: 糸をテンションノブ周りに回し、ディスクに“フロス”して深く入れます。
- チェックばね/センサー周り: 糸をチェックばねの効く位置に通し、糸切れセンサーのホイール(搭載機の場合)を通過させます。
- 天秤へ向けて上へ: 機械のガイドに沿って、天秤方向へ糸を上げます。
チェックポイント: テンションディスクに入っているかを、糸を軽く引いて抵抗で判断します。抵抗が弱い場合は、いったん糸を戻して“フロス”し直します。
フェーズ4:天秤〜針棒ガイド
目的: 縫いサイクルが成立する糸道に仕上げる。
作業:
- 天秤(テイクアップレバー)の穴: 天秤の穴に確実に通します。
- 針棒上部ガイド: 針棒上のガイドに通します。
- 針元直前の小ガイド: 針クランプ直上の小さな穴(小ガイド)に通します。ここは見落としやすいので、必ず目視で確認します。
チェックポイント: 糸が針棒の前面に沿って素直に下り、どこかに巻き付いていないこと。
フェーズ5:針穴(糸通し)
作業:
- ワイヤー式糸通しを使う: ワイヤーを針穴に通し、糸を引っ掛けて引き戻します。
- 糸端を整える: 余り糸を適度にカットします。
チェックポイント: 糸が針先に絡んでいないこと。針穴を通った後、糸が素直に後方へ抜ける状態が理想です。
複数色の段取り:2色目も同じ品質で再現する
針1ができたら、次は2色目(例:赤)です。多針機は「再現性」がそのまま生産性になります。
「コピー」する考え方
2本目以降は、手順を変えずに同じ動きを繰り返します。
- 動作を固定: 立ち位置、手の動かし方、糸を引く方向を毎回揃える。
- 見た目で照合: 針1の糸道と、針2の糸道が同じ形になっているかを見比べる。
- 上部スライダーを対応させる: 2色目は、上部ガイドのスライダーも「2」に合わせてから通します。
トラブルシュート:症状から逆引きする診断表
当てずっぽうをやめて、症状から糸道を疑う場所を絞ります。
| 症状 | 起こりやすい原因 | 対処(チェック方法) |
|---|---|---|
| 裏側の鳥の巣(糸だまり) | 上糸テンションが効いていない(ディスクに入っていない) | 主テンションを“フロス”し直し、針側で引いて抵抗が出るか確認 |
| 糸切れが多い | コーンで引っ掛かり/上部でレーン違い | コーンから引いて引っ掛かりがないか確認し、上部の番号穴が正しいか目視 |
| 針から糸が抜ける | 天秤を通し忘れ/針穴の糸が安定していない | 天秤の穴を再確認し、針穴を通した後に糸が素直に後方へ抜けるか確認 |
| 糸切れ検知の誤作動 | センサーのホイールに糸が正しく当たっていない | テンション後の糸道を確認し、センサー周りのルートを通っているか見直す |
| 糸が毛羽立つ/切れそうになる | 針元直前の小ガイドを飛ばしている | 針クランプ直上の小ガイドを通しているか再確認 |
まとめ
多針機の糸掛けは、慣れではなく「糸道の再現性」で安定します。上部のレーンを守り、主テンションに確実に座らせ、チェックばね/センサーを成立させ、天秤と針元の小ガイドを落とさない——この順で組み立てれば、糸切れ・誤検知・鳥の巣の多くは減らせます。
