目次
フリース刺繍が「特別扱い」になる理由
フリースブランケットは、刺繍ビジネスにおいて「単価が取りやすい」「ギフト需要が強い」「見栄えが良い」という魅力がある一方で、最初の1枚でつまずきやすい素材でもあります。特にサテン縫いが毛足に飲み込まれて、せっかくの輪郭や文字がぼやけて見える現象は典型例です。
現場目線で整理すると、フリースは ニット構造(伸びやすい) かつ 毛足(ナップ)が深い 素材です。毛足は糸を沈ませようとし、伸びは円形を楕円に歪ませようとします。つまり「沈み込み」と「歪み」が同時に起きやすいのが難しさの正体です。
このガイドでは、フリースへの不安を分解して、再現性の高い手順に落とし込みます。核になるのは、上に水溶性トッピング(フィルム)を置いて層を挟み込む「トッピング・サンドイッチ」の考え方です。ここで言う 水溶性トッピング は“推奨”ではなく、フリース/タオル系では仕上がりを成立させるための必須部材です。これを省くと、刺繍しているつもりでも実際は糸が毛足に埋もれていきます。
もう一つが「格闘要素」です。ブランケットは重く、かさばり、滑ります。一般的なネジ式の樹脂枠で大判ブランケットを無理に枠張りすると、枠跡(繊維が潰れて残る輪ジミ)や手首の負担につながりやすくなります。そこで本稿では、枠張りを“力仕事”から“再現可能な作業”に変える道具としてマグネット刺繍枠を取り上げます。

使用機材:マグネット刺繍枠と業務用刺繍機
参照デモでは、単頭の業務用刺繍機(SWF系の構造に近い機種)に、5.5インチのマグネット刺繍枠を組み合わせています。量産・受注の現場では、コントロールできる=品質が揃う という考え方が基本です。
5.5インチ枠を選ぶロジック
5.5インチ程度の刺繍範囲は、ブランケットの名入れや小さめのモチーフに扱いやすいサイズです。初心者がやりがちなのは、小さな名前なのに大きい枠(例:10x10)で張ってしまうことです。
- 物理的な理由: 枠が大きいほど中央のテンションが甘くなりやすく、位置合わせ(レジストレーション)が崩れやすくなります。小さめ枠の方が針元に近い範囲を安定させやすいです。
- 取り回し: 枠の外形が小さいほど、丸めたブランケットを機頭まわりでさばきやすく、引っ掛けや干渉のリスクも減ります。
変化が大きいのは「マグネット枠での枠張り」
従来枠は摩擦で押し込んで固定するため、その摩擦が枠跡の原因になりがちです。マグネット刺繍枠は上下方向のクランプ圧で挟み込むため、厚みのあるフリースでも繊維をねじらずに固定しやすいのが利点です。
「アップグレード」判断の目安:
- A(趣味中心): 月に1枚程度。結論: まずは手持ち枠でも可(ただし枠張りとトッピングの基本を優先)。
- B(受注・小ロット生産): 20枚などまとまった注文が入る。結論: 枠張り時間の短縮と枠跡リスク低減の面で、マグネット刺繍枠 は作業を安定させる投資になりやすいです。


仕上がりを分ける要:水溶性トッピング(フィルム)
デモで強調されているのは、プロっぽい見た目と「手作り感」の差を作る要素としての 水溶性トッピング(Solvy などの呼称で知られるフィルム)です。
「表面を支える」ための考え方
毛足の深い素材にそのまま縫うと、糸が毛の間に落ち込みやすくなります。トッピングは、縫製中に糸が沈むのを抑える“仮の橋”として働き、縫い目が表面に乗った状態で形を作れるようにします。
トッピングを使うべき素材:
- フリース(ポーラーフリース等)
- タオル(パイル)
- 毛足のある素材(ベルベット等)
- ニット帽などのニット素材
スタビライザー構成の判断(迷わないための整理)
フリースは「下で支える」「上で沈みを止める」の2点をセットで考えます。
素材:ポリエステル系フリースブランケット
- 下(裏)1層目: 形を支える
- 基本: ティアアウェイ(破り取り)。デモでもこの方法で十分に成立しています(軽めのフローラルデザイン想定)。
- 上(表)2層目: 毛足を抑える
- 必須: 水溶性トッピング
- 置き方: 目的位置にフラットに置きます。強く引っ張ってピンと張る必要はなく、シワとズレが出ないことを優先します。

ミシン設定の要点:回転数と針・ボビン
安定稼働と仕上がりの差は、素材に合わせた基本設定で出ます。デモでは回転数が約 700 RPM、針は ボールポイント 75/11、下糸は Fil-Tec のマグネットボビン が言及されています。
回転数:700 RPM 付近が扱いやすい理由
最大回転で回すほど速い、とは限りません。
- 熱と摩擦: 合成繊維のフリースは熱の影響を受けやすく、条件によっては糸切れの要因になります。
- バタつき(フラッギング): ブランケットの重みで生地が上下に動きやすく、速すぎると目飛びや乱れにつながります。700 RPM 前後は落ち着いて縫いやすい帯域です。
- 運用の目安: 慣れていない場合は 600 RPM から開始し、音と縫いの安定を見て調整します。
針:ボールポイント(75/11)
フリースはニット構造なので、鋭い針先で糸(編み目)を切ると、穴やダメージが残るリスクがあります。ボールポイントは先端が丸く、繊維を切り裂くのではなく“押し分ける”方向に働きます。
下糸(ボビン)の安定性
デモでは Fil-Tec のマグネットボビン が紹介されています。下糸の引き出し抵抗(ドラッグ)が安定すると、サテン縫いの見え方や文字のエッジが揃いやすくなります。紙ツバ付きボビンは残量で抵抗が変わることがあり、テンションのムラ要因になり得ます。
また、SWF 刺繍ミシン のような業務用機で「下糸テンションが安定しない」「ボビン周りの挙動が気になる」場合、まずは清掃とセット状態の確認に加え、ボビンの種類を揃えるのが低コストの改善策になります。


手順:バラと名入れデザインを縫う(枠張り→縫製→仕上げ)
ここからは、デモの流れをそのまま作業手順に落とし込みます。迷いが出やすいポイントは「層の順番」と「ブランケットの重み対策」です。
準備(作業前チェック)
先に揃えるほど、失敗率が下がります。
材料リスト:
- 素材: グレーのフリースブランケット
- スタビライザー(下): ティアアウェイ(破り取り)
- スタビライザー(上): 水溶性トッピング(フィルム)
- 糸: 40番ポリエステル(赤・緑・白)
- 刺繍枠: 5.5インチのマグネット刺繍枠
作業を助ける小物(仕上げで効く):
- ピンセット: 文字の内側に残ったトッピング片の除去に便利
事前チェック(最低限ここだけ):
- 針の状態: 先端に欠けや引っ掛かりがないか確認(違和感があれば交換)
- ボビン周り: フリースはリントが出やすいので、下糸ケース周辺の清掃を意識
- デザインの向き: ブランケットの縁に対して上下が合っているか
注意:機械安全
稼働中は枠内に手を入れないでください。髪やアクセサリー、ゆるい袖口は巻き込まれの原因になります。
セット(マグネットで「挟む」枠張り)
Step 1 — 下準備 マグネット刺繍枠の下枠を台(フラットな作業面)に置き、ティアアウェイを下に敷きます。
Step 2 — 素材を置く フリースブランケットを重ね、シワをならします。
- チェックポイント: 強く引っ張って伸ばさないこと。伸ばした状態で固定すると、外したときに戻ってシワ(パッカリング)の原因になります。
Step 3 — トッピングを上に置く 刺繍位置に水溶性トッピングを重ねます。
Step 4 — 上枠をまっすぐ下ろす 上枠を位置合わせして、まっすぐ下ろして固定します。
- チェックポイント: 指はフレームの外側に置き、接触面に入れないようにします(挟み込み防止)。


セット確認(Go / No-Go):
- 層の見える化: 下(ティアアウェイ)/中(フリース)/上(トッピング)の3層になっている
- 保持状態: 側面に浮きや隙間がない(厚い段差があると保持が弱くなる)
- ブランケットの重み対策: たるみを台で支え、枠に引っ張り荷重がかからないようにする
- 現場のコツ: ブランケットが機械から垂れ下がると、その重みで枠が引かれて位置ズレの原因になります。
注意:マグネットの取り扱い
業務用のマグネット刺繍枠は強力です。指を挟まないよう、接触面に手を入れないでください。磁気の影響を受ける機器・媒体の近くでの取り扱いにも注意します。
縫製(実行フェーズ)
Step 4 — 花(フローラル)を縫う
デザインを読み込み、赤→緑の順で縫い進みます(デモは3色構成)。
- チェックポイント: トッピングは針穴で細かく穴が開きますが、縫製中に大きく裂けてフリースが露出する状態は避けたいところです。裂けが大きい場合は一旦停止し、上からトッピングを追加で重ねて続行します。



Step 5 — 文字(名入れ)を縫う
白糸で「Jill」のスクリプト文字を縫います。
- 難しい理由: フリース上の小さめ文字は、沈み込みが出ると一気に読めなくなります。
- 合格ライン: 文字の輪郭がはっきりし、毛足に埋もれず表面に乗って見えること。


Step 6 — 仕上げ
枠から外し、裏のティアアウェイを破り取ります。表のトッピングは大きい部分をやさしく取り除き、文字の内側など細かい残りはピンセットで除去します。必要に応じて水で溶かして取り除きます。
縫製後チェック(短時間で見るポイント):
- サテン縫いの見え方: ループや乱れがないか(テンションの乱れのサイン)
- 位置合わせ: 花と葉のつながりにズレ(隙間)がないか
- 周囲のシワ: 刺繍周りが波打っていないか(過度な引っ張り固定のサイン)
現場のコツ
ブランケットを継続的に作るなら、ティアアウェイとトッピングをあらかじめ必要サイズにカットしてまとめておくと、段取りが安定します。
品質チェック:「良い仕上がり」の見分け方
売れる品質かどうかは、短いチェックで判断できます。
1. 文字の可読性
少し離れて見て、名前がはっきり読めるかを確認します。ぼやける場合は、トッピング不足(または未使用)が疑わしいです。
2. 枠跡(枠の当たり)
枠が当たったリング状の跡を見ます。
- 悪い例: 強く潰れた輪が残り、戻りにくい
- 良い例: うっすら残っても、軽く整えると目立ちにくい
3. 仕上がりの立ち上がり
フリースの毛足に対して、刺繍が表面に乗って立体感が出ているかを確認します。
トラブルシューティング:症状→原因→対処
当てずっぽうで触るより、症状から切り分ける方が早いです。
| 症状 | ありがちな原因 | 低コスト対処 | 作業性アップの対処 |
|---|---|---|---|
| 縫い目が毛足に沈む | トッピング未使用/ズレた | 水溶性トッピングを必ず使用する | 毛足が特に深い場合はトッピングを重ねる(2枚) |
| デザインがズレる/隙間が出る | ブランケットの重みで引っ張られる/フラッギング | 回転数を落とす(例:600 RPM)+ブランケットを台で支える | 下の支えを見直す(より安定する構成へ) |
| 下糸テンションが不安定 | リント詰まり/ボビン由来の抵抗ムラ | 下糸ケース周りの清掃 | Fil-Tec のマグネットボビンを検討 |
| 枠跡が強い | 従来枠での摩擦・圧迫 | 枠張りの引っ張りを減らす | マグネット刺繍枠 用 枠固定台 を使って枠を安定保持し、無理な力をかけずに枠張りする |
仕上がりと次の一手(アップグレードの考え方)
完成例は、フリース表面に刺繍がしっかり乗り、花と名入れがくっきり見える状態です。特に白文字は、トッピングが効いて輪郭が出やすくなります。


収益性につながる判断軸
1) 品質が安定しない場合
- 症状: 小さな文字が読めたり読めなかったりする
- 対策: まずは下(ティアアウェイ)+上(トッピング)の基本構成を徹底し、トッピングを切らさない運用にする
2) 作業がつらい/時間がかかる場合
- 症状: ブランケットの枠張りが苦痛、手が疲れる
- 対策: 互換サイズのマグネット枠を検討。サイズ感の目安として 5.5 mighty hoop マグネット刺繍枠 相当の枠はブランケット名入れで扱いやすい
3) 生産量が増えた場合
- 症状: 3色デザインの糸替えが負担になり、利益が出にくい
- 対策: 多色を止めずに回せる 多針刺繍機 の導入検討が現実的なタイミング
素材対策(トッピング+下の支え)→保持(マグネット枠)→量産(多針化)の順で整えると、フリース案件は安定して利益を出しやすくなります。
