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Day 9 フリービーデザインを観察する
このチュートリアルは「刺す」話ではなく、仕上げで差が出る工程の実演です。マシンが止まった後の扱い方ひとつで、作品が「手作り感」になるか「ヘリテージ(上質)仕上げ」になるかが決まります。
題材は、シルクデュピオンに刺した装飾ボタンホール風の刺繍。シルクデュピオンは針穴・折りジワ・枠の圧痕が残りやすく、仕上げの丁寧さがそのまま品質になります。
このプロジェクトでは、サテン柱(サテンステッチの列)で囲われたスリットを実際に開口し、そこへレースを通して、平面の刺繍を“使える立体表現”に変えていきます。
ここで身につくこと:
- 素材の扱い: シルクデュピオンの艶を潰しにくいプレスの考え方
- 構造の理解: 「通し穴(スリット)」を支えるサテン柱の役割
- リスク低減: シームリッパーでサテン柱を切らないための安全手順(端→中央)
- 微調整の仕上げ: 生地やレースを傷めにくい道具でレースを通し、立体感を整える



このデザインが映える理由(そして仕上げが重要な理由)
装飾ボタンホールが美しく見えるのは、構造的なコントラストがあるからです。具体的には次の要素で成り立ちます。
- 支え(壁): 2本のサテン柱が“壁”になり、切り開いた後の端が崩れにくくなります。
- 高さ(立体): フレンチノットが表面に高さを作り、シルクのフラットな艶と対比します。
- 抜け(影): スリットの陰影がレースの奥行きを強調します。
シルクデュピオンは、コットンのように「あとから蒸気でごまかす」が効きにくい素材です。扱い跡が残りやすいぶん、仕上げ工程では“触る回数”と“力のかけ方”が品質に直結します。
準備:シームリッパーを入れる前の消耗品と確認
プロの現場ほど、結果は準備で決まります。動画は仕上げ台から始まりますが、ここでのチェックが安全に直結します。
- 針(刺繍時の前提): シルクは引っ掛かりが出やすいので、鋭い針先が有利です。刺繍時に針が鈍いとサテン柱周りが波打ちやすくなります。
- 枠跡(枠の圧痕): シルクデュピオンは枠跡が残りやすい素材です。摩擦式の刺繍枠を使う場合は、内枠にテープ等を巻いて当たりを和らげる考え方があります。
- 枠跡対策の選択肢: 枠跡や圧痕を減らしたい場合、マグネット刺繍枠のように摩擦ではなく磁力で保持する方式が検討対象になります。
- 視認性: サテン柱の間(数mm幅)を切る作業は、手元が見えないと危険です。糸1本単位が見えない環境では切り始めないでください。
準備チェックリスト(プレス・カット前)
手の油分が付きやすいので、作業環境は清潔に。
- 照明: 影が出にくい手元灯(切り開く位置に直射)
- 作業面: カッティングマット(糊・ラメ・粉が付いていないもの)
- 工具: 先端が傷んでいないシームリッパー(端が引っ掛かるなら交換)
- 糸切り: 飛び糸処理用の小バサミ(先が細いもの)
- 副資材: 細幅レース(刺繍の開口部に対して幅が合うか事前に当てて確認)
- 押し込み用ツール: Purple Thangのような平たい先端の樹脂ツール(金属ピンセット等は引っ掛かりの原因になりやすい)
注意: 工具の跳ね。シームリッパーは抵抗が抜けた瞬間に“走る”ことがあります。手首を作業台に当てて支点を作り、短いストロークで進めます。サテン柱を切ると修復が難しく、やり直しになりがちです。
ホットフィックス・パールで装飾する
ホットフィックス・パールは立体感を足せますが、刺繍面では接着は見た目より「面の条件」が重要です。

動画のポイント(置き場所のルール)
動画では 10ss のホットフィックス・パールを例に、サイズ感を当てて確認しています。重要なのは、刺繍の「盛り上がり(凹凸)」を見て置き場所を決めること。
- 盛り上がりが強い“中心部”の上は、接着面が取りにくくなります。
- 平らな面(比較的フラットな刺繍面や生地面)のほうが安定します。
補足:盛り上がりの上に置くと弱くなりやすい理由
凹凸の上だと、パールの裏面が点で当たりやすく、接着剤が効く面積が減ります。冷めた後に軽く触れて不安がある場合は、置き場所を見直すのが安全です。
技術:マシン刺繍の装飾ボタンホールを安全に切り開く
ここが一番緊張する工程です。目的は「生地だけを切り、サテン柱(構造)を切らない」こと。



手順:シームリッパーの「端→中央」カット
シャツのボタンホールのように一気に開けるのは危険です。動画の要点は、両端から中央へ寄せて切ることで、走り(滑り)を抑えることです。
- 裏側で作業: 基本は裏面(下糸側)から。スリット位置が追いやすくなります。
- 端Aから開始: スリットの端にシームリッパー先端を入れ、生地だけを切る意識で進めます。
- 中央で止める: 中央まで行ったら必ず止めます(ここが安全装置)。
- 端Bから再開: 反対側の端から同様に中央へ。
- 合流: 2つの切り込みが中央で合わさるところで終了。
チェックポイント:
- 一気に全長を切らない(動画でも「走って縫い糸を切る」危険が示されています)。
- 切っているのは“布”で、サテン柱の糸ではないことを常に確認。
切りながら見るべき状態
- 見た目: スリットがまっすぐ影になって見える
- 糸の状態: サテン柱にほつれが出ていない
- 裏面: 余計な糸くずが残っていない(必要なら裏で軽く整える)
シルクデュピオンの「節(スラブ)」は欠点ではない
動画でも触れられている通り、シルクデュピオンには糸のつなぎ目由来の節(スラブ)が出ます。これを“欠陥”として切ったり削ったりすると、生地が弱くなります。素材の表情として扱うのが前提です。

Purple Thangでレースを通す
ここから一気に立体感が出ます。切り開いたスリットに、別素材(レース)を通して表情を作ります。



手順:レースを傷めずに通す
動画では、ターコイズ色の「Purple Thang」を使い、平たい先端でレースを押し込みながら通しています。金属の先端工具だと、レースやシルクを引っ掛けやすいので避ける意図です。
- 幅の確認: レースが広すぎると通りにくく、仕上がりも波打ちます(動画でも「幅が広すぎないもの」を推奨)。
- 押し込み: レースを平らに置き、ツールの平たい面でスリットへやさしく押し込みます。
- 裏で引き出す: 裏側でレースをつまんで引き出します。
- 整える: 引っ張り過ぎず、自然にふわっと乗る位置で止めます。
うまく座らないとき(動画の実例)
レースがきれいに座らない場合、原因は「スリットが少し短い」ことがあります。
- 対処: スリットをわずかに切り足して、レースが無理なく通る長さに調整します。
注意: マグネットの取り扱い。量産でマグネット式の枠を導入する場合、強い磁力による挟み込みに注意してください。指を近づけたまま合わせると危険です。また、医療機器(ペースメーカー等)を使用している場合は距離を取る必要があります。
装飾ボタンホールの活用アイデア
装飾ボタンホールは“ユニット”として並べると、ボーダー表現に展開できます。


1枚から連続ボーダーまでの発想
- 単発: クッションのワンポイント
- 連続: 衣装や小物の縁取り(ボーダー)
- つなぎ: レースを介してパネル同士をつなぐ表現
※コメントでも、ボーダーとしての展開や、フレンチマシンレースを通すアイデアが挙がっています。
シルクデュピオンのスタビライザー選び(現場目線)
シルクは動きやすいので、サテン柱の安定にはスタビライザー(刺繍用の安定紙・裏打ち)が重要です。
- 密度が高い刺繍ほど、しっかり支える方向が安全です。
- ちぎり取りタイプは剥がすときにシルクを歪めやすいので、力のかけ方に注意が必要です。
動画内の枠サイズメモ
このデザインは標準的な 4x4インチ枠の範囲を前提に触れられています。 検索では brother 4x4 刺繍枠 のような語が入口になりますが、実際には「シルク+スタビライザーの重なりを滑らず保持できるか」が重要です。滑りはスリット位置のズレにつながります。
トラブルシューティング(症状 → 原因 → 対処)
問題が出たら、無理に進めず原因を切り分けます。
| 症状 | ありがちな原因 | まず試す対処 | 次の選択肢 |
|---|---|---|---|
| サテン柱を切ってしまった/ほつれた | 一気に切ってシームリッパーが走った | 「端→中央」で切る手順に戻す | 切り開き工程は短いストロークで、視認性を上げる(照明・拡大) |
| レースが波打つ/ねじれる | レース幅が広い、またはスリットが短い | スリットをわずかに切り足して調整 | より細幅のレースに変更 |
| スリット周りが毛羽立つ | 刃先が鈍い/引っ掛けた | 工具を交換し、裏の糸くずを整える | 作業前に工具の切れを確認する |
| シルクの節が気になる | 素材特性(スラブ) | 切らずにそのまま活かす | 作品設計として“素材感”に寄せる |
準備・段取り・作業順(再現性のあるワークフロー)
仕上げは段取りで安定します。動画の流れに沿って、繰り返しやすい順に整理します。
準備(プレスと面の管理)
動画では Oliso のスマートアイロンでプレスしています。 ルール: こすらず、押して持ち上げて移動。引きずると目が歪みやすくなります。

準備チェック(プレス前)
- 生地を表にして平らに置く(動画は表面を上にしてプレス)
- 水分や汚れが付かない環境にする
段取り(手を伸ばさず取れる配置)
作業中に道具を探すと、シルクに触る回数が増えます。
- 左: 生地(刺繍済み)
- 中央: 作業マット(必要なら 刺繍 枠固定台 のような固定台/位置合わせの補助になる台)
- 右: シームリッパー、糸切り、レース、押し込みツール
作業(切る → 整える → 裏からプレス → 通す → 調整)
複数枚ある場合は、同じ工程をまとめると品質が揃います。
- 切る: すべて「端→中央」で開口
- 整える: 裏の糸くずを軽く除去
- プレス(重要): 裏側を下にして強めにプレス(動画では「しっかり押す」ことでフレンチノットが立つ)
- 通す: Purple Thangでレースを通す
- 調整: 座りが悪ければスリット長を微調整



仕上がりの基準: フレンチノットが立ち、レースが無理なく流れる(引っ張りジワがない)。

最終チェック(完成判定)
- スリット内に糸くずが残っていない
- 裏面に引っ掛かりがない
- レースが左右で均等に見える
- サテン柱に傷・ほつれがない
仕上がりと次の一手
正しく仕上げると、シルクはシャープに、フレンチノットは立体的に、レースは軽やかに見えます。
作業をスケールさせる考え方:
- 位置合わせの再現性を上げたいなら ミシン刺繍 用 枠固定台 のような固定台で基準を作る
- 枠跡を減らしたいなら、保持方式(摩擦式→磁力式)を見直す
- 色替えや段取りの時間がボトルネックなら、多針刺繍機の運用が有利になる
まずは「切り開き」と「通し」の手技を安定させ、その後に道具で生産性を上げていくのが近道です。
