目次
厚物の枠張りが難しい理由
厚い・凹凸が強い・ふっくらしている——こうした素材は、刺繍の「枠張り力」を一気に試してきます。いつもの感覚でネジを強く締めると、フープの破損、手首への負担、そして高級素材ほど致命的な枠跡(枠焼け)が起きやすくなります。ツイードジャケットのように素材単価が高い場合は、やり直しが効きません。
厚手ツイードのジャケットに刺繍する、オーガンジーで自立系(FSL的)パーツを縫う、二枚キルト綿のキルトサンドイッチを枠内でキルティングする——このあたりからは、単に刺繍するというより「圧縮(つぶれ)とクリアランス(逃げ)」の管理になります。
本稿では Martha’s Sewing Room の実演内容を、作業手順として再現しやすい形に整理します。ポイントは次の3つです。
- テクスチャ設計: ツイードのような“刺繍が沈む素材”で、オーガンジー+12番糸を使って柄を立たせる。
- 構造の考え方: 水溶性スタビライザーの枠張りで「たわみ」を抑え、位置合わせ(レジスト)を崩さない。
- 厚みの扱い: 厚いキルトサンドイッチを、機構的に無理なく枠張りする。

現場目線の結論: 厚みが増えたら、力で押し切らないこと。成功は クリアランス(押さえの高さ)、保持力(フープ機構)、安定性(スタビライザーと素材の相性) の3点セットで決まります。
ツイード刺繍:オーガンジーと太番手糸で「沈み」を防ぐ
ツイードは、刺繍にとって“見えにくさ”の塊です。凹凸のある多色の織りが、一般的な40番糸の線を飲み込み、柄が薄く・荒く見えがちになります。動画の事例はジャケットのバラ柄で、対策は「光を拾う下地(オーガンジー)」と「太い糸(12番)」の組み合わせでした。

準備(材料と、事前に潰しておくチェック)
ミシンに向かう前に、ツイードという“荒れた環境”に合わせたセットを組みます。
動画で使用されている材料
- 素材(ベース): ツイードジャケット生地。
- テクスチャ層: オーガンジー(手でくしゅくしゅにして立体感を作る)。
- トッピング: 水溶性スタビライザー(フィルム系)を上に。
- 接着: 仮止めスプレー。
- 固定: ピン。
- 糸: 12番糸(太番手で視認性を上げる)。
- 刺繍枠: 内枠が交換でき、「Heavy」表示の内枠で厚みの逃げを確保できるタイプ。
- 押さえ: 厚物対応のスプリング機構付き刺繍押さえ。
事前チェック(失敗を減らす現場チェック)
- 針の選定: 12番糸を使う場合、動画ではトップステッチ針の使用が示されています(太糸でも通りやすい大きめの針穴)。
- 押さえの相性: 厚みがあると、通常の押さえでは引っかかりやすくなります。動画のように上下動して生地を押さえ込みやすいタイプを準備します。
注意(安全面): 厚物+太糸は針に負荷がかかります。作業中は顔を近づけすぎず、異音や針のたわみを感じたらすぐ停止してください。
量産目線: ジャケットの位置合わせを毎回測り直すのは手間が大きく、ズレの原因にもなります。位置を再現したい場合は、刺繍用 枠固定台 のような治具で基準を固定しておくと、同じ位置を繰り返しやすくなります。
準備チェックリスト
- 針: トップステッチ針を装着(針先の欠けがないか確認)。
- 糸: 12番糸で上糸をセット。
- 下糸: 基本は通常の下糸(両面仕上げが必要な場合は別途判断)。
- 仮止めスプレー: 霧状に出るか、端材でテスト。
- 枠: 「Heavy」内枠が使える状態か確認。
手順:ツイード+くしゅくしゅオーガンジー+水溶性トッピングの枠張り

手順1 — テクスチャの土台を作る
作業: 刺繍位置に仮止めスプレーを軽く吹き、オーガンジーを“平らに置かず”手でくしゅくしゅにして貼り付けます。必要に応じて外周をピンで仮固定します。
チェックポイント: 指で軽く触れて、オーガンジーが浮かずに留まっていること。浮く場合は、薄く追加でミストします。
狙い: しわの面が光を拾い、ツイードの暗い凹凸に対して刺繍が埋もれにくくなります。
手順2 — 上から水溶性スタビライザーを重ねる
作業: くしゅくしゅオーガンジーの上に、水溶性スタビライザー(フィルム)を“ふわっと”載せ、縫い代外でピン留めします。
チェックポイント: フィルムを引っ張りすぎて、オーガンジーの立体感を潰さないこと。
期待できる効果: 太糸のステッチが凹凸に沈むのを抑え、輪郭が出やすくなります。
手順3 — 厚物用の内枠(「Heavy」)を選ぶ
作業: 内枠は「Heavy」表示のものを使用します。

補足: 通常の内枠で無理に締めると、繊維を潰して枠跡が残りやすくなります。「Heavy」内枠は厚みの逃げ(クリアランス)を確保するための選択です。
補足:厚物で枠跡を避けたい現場では、押しつぶす力が少ないマグネット刺繍枠に切り替える判断もあります。
手順4 — 厚み対応の刺繍押さえに交換する
作業: 厚物で引っかかりにくい、スプリング機構付きの刺繍押さえを使用します。

チェックポイント: 押さえが厚みの山を越えるときに、引きずって生地を押し動かしていないかを観察します。引きずりが出ると位置ズレの原因になります。
手順5 — 余分なスタビライザーを切り、必要部分だけ溶かす
作業: まず大きく余りをカットし、縫い目付近は濡らして溶かします。
チェックポイント: ジャケット全体を濡らさず、縫い目周辺だけを処理します。
手順6 — くしゅくしゅオーガンジーを際でトリミング
作業: 先の丸いカーブ刃のハサミなどで、サテンの際に沿ってオーガンジーをカットします。

仕上がりの目標: 花びらの縁から、オーガンジーの艶が“ふわっと”のぞく状態。
現場のコツ: ツイードは情報量が多い素材です。オーガンジーの反射が「下地の反射板」になり、太糸の線が視覚的に立ち上がります。
枠内キルティング:二枚キルト綿の厚みを枠張りする
枠内キルティングは精度が出ますが、厚みが一気に増えます。動画の例は、トップ布+キルト綿2枚+裏布の「キルトサンドイッチ」。この厚みは、一般的な刺繍枠だと閉じること自体が難しく、無理をすると破損やズレにつながります。

準備:厚いキルトの枠張りが別物になる理由
動画で示されている要素
- サンドイッチ: トップ+キルト綿2枚+裏布。
- スタビライザー: 厚手のカットアウェイ。
- 機構: クリップ機構で締め込みを調整できる専用フープ(厚物用内枠)。
- 糸: 30番のコットン糸(40番より太く、線が出る)。
補足: 厚みがあると、締め付け式フープは「圧縮で沈む→縫っている間にじわっと動く」という現象が起きやすくなります。厚物用の機構で“締め方そのもの”を変えるのが近道です。
手順:フリップクリップ式フープで厚いキルトサンドイッチを枠張り
手順1 — サンドイッチを揃える
作業: 裏布(裏面上)→キルト綿→トップ(表面上)の順に重ね、必要に応じて仮止めスプレーで層ズレを抑えます。

チェックポイント: 手のひらで押して、層がバラける“布団感”が強い場合はズレやすい状態です。できるだけ一体化させます。
手順2 — クリップ機構で締め込みを調整する
作業: 動画のフープは、クリップを外して隙間を作り、内枠を入れてからクリップを戻して締める方式です。

現場の考え方: こうした機械式クリップでも改善しますが、厚みが大きい案件では、垂直方向に保持できる マグネット刺繍枠 用 枠固定台 のような運用を検討する現場もあります。押し込みながら閉じる動作が減るため、層を押しずらしてしまうリスクを下げやすいからです。
手順3 — 仕上がりに合わせてスタビライザーを選ぶ
作業: 必要に応じて、厚手のカットアウェイを下に当てます。
狙い: 下側をしっかり支えることで、ステッチが沈み、上側がふっくら見える効果が出やすくなります。
手順4 — キルトは上糸と下糸を揃えると裏がきれい
作業: 動画では、裏面の見え方を整えるために、上糸と同じ飾り糸を下糸(ボビン糸)にも巻く提案がありました。
チェックポイント: 太い糸をボビンに使うと抵抗が増えます。縫い目の状態を見ながら調整します。
期待できる効果: キルトは両面で見られることが多く、裏面の糸色差が目立ちにくくなります。
標準フープが厚物で負ける典型パターン
標準的な樹脂フープは、シャツ地のような薄物を前提にしています。厚物で無理をすると、次の問題が起きやすくなります。
- 保持力低下: 外枠が歪み、側面の保持が落ちる。
- 破損: ネジ部や機構に負担が集中する。
- 枠跡: ツイードや起毛素材が潰れて、リング状に残る。
アップグレードの考え方: たまに厚物をやる程度なら、動画のように「Heavy」内枠を使うのが現実的です。 一方、業務で厚物が多い場合は、作業者の負担と不良率が先に限界になります。そのタイミングで mighty hoop や mighty hoop マグネット刺繍枠 キット のようなマグネット刺繍枠を検討する流れになります。厚みに合わせて自動的に保持しやすく、枠跡を抑えつつ枠張りの再現性を上げやすいのが利点です。
注意(マグネットの安全): 業務用のマグネット刺繍枠は吸着力が強く、指を挟む危険があります。閉じるときは指を「噛み込みゾーン」に入れないでください。ペースメーカー等の医療機器がある場合は取り扱いに注意が必要です。
判断フロー:厚みと生産量で枠張り方法を決める
- 素材は「潰れる(ふっくら)」か「潰れない(硬い)」か?
- 潰れる(キルト・中綿・厚手ジャケット): クリアランスのある枠、またはマグネットで“押しつぶし”を減らす。
- 潰れない(帆布など): 機構の強いフープ、または浮かし(貼り付け)運用を検討。
- フープが無理なく閉じるか?
- 閉じる: 通常手順で進行。
- 閉じない(力が必要): 停止。 ネジを工具で締め込む前に、「Heavy」内枠/マグネット刺繍枠/浮かし運用へ切替。
- 裏面が見える製品か?(キルト・ストール等)
- 見える: 上糸と下糸の色・太さを揃える。
- 見えない: 通常のボビン糸で管理性を優先。
- 柄が素材に飲まれているか?
- 飲まれる(ツイード等): オーガンジー層+太番手糸+水溶性トッピングでコントラストを作る。
3D刺繍アクセサリー:オーガンジー×水溶性スタビライザーの安定化
このパートは、オーガンジーを使った自立系(フリースタンディング)発想の応用です。失敗の主因は、水溶性スタビライザーが伸びたりたわんだりして、アウトラインと中身がズレることです。

準備:きれいに縫うためのスタビライザー設計
動画で示されている材料・道具
- スタビライザー: 水溶性スタビライザー。
- 補強: 中央をくり抜いた不織布の「枠(フレーム)」を一緒に枠張り。
- 布: オーガンジー。
補足: 動画の要点は「中央は薄く、外周はしっかり」。外周に不織布のフレームを入れることで、フープがしっかり噛み、中央の縫い部分は余計な厚みを増やさずに済みます。
手順:スタビライザー+フレームで枠張り→縫製→仕上げ
手順1 — 水溶性スタビライザーをフレームと一緒に枠張り
作業: 中央が抜けた不織布フレームと水溶性スタビライザーを一緒に枠張りし、上にオーガンジーを置きます。

チェックポイント: 中央がたわまず、ピンと張れていること。
手順2 — 両面をきれいにするなら下糸も合わせる
作業: 動画では、花が両面きれいに見えるように、下糸(ボビン糸)も上糸に合わせる提案がありました。
手順3 — 縫ったら溶かして仕上げる
作業: 縫い上がったら枠から外し、水溶性スタビライザーを溶かします。
手順4 — 端の“ひげ”は熱で処理する
作業: 乾燥後、はんだごて等でオーガンジーの細いひげを処理します。

注意: 熱処理は換気し、素材が想定と違う場合(溶け方が不自然、焦げ臭い等)は中止します。
手順5 — 重ねて組み立て、装飾する
作業: 花弁を重ね、必要に応じて装飾を追加します。

量産の考え方: 大きい枠が使える場合は、同一データを複数配置してまとめて縫うと効率が上がります。枠張りの直角・位置を揃えるには、hoopmaster 枠固定台 のような治具があると再現性が出しやすくなります。
応用:ネット・ウィンドウ(Netting Windows)
ここは厚物とは逆で、繊細さが要求されるヘリテージ系の手法です。バティストにコットンネットを組み合わせ、「窓」のような開口部にパネルを入れます。

準備:材料と現実的な注意点
動画で示されている材料
- 布: バティスト、コットンネット。
- 糸: 水で消えるしつけ糸(ウォッシュアウェイのバスティング糸)。
補足: この工程は裁断精度が仕上がりを左右します。切り込み位置がズレると、窓の角がきれいに出ません。
手順:パネルを作り、窓を仕立ててはめ込む
手順1 — 2種類のストリップセットを作る
作業: バティストとネットを交互に並べたストリップを縫い合わせます。縫い代は細くします。
手順2 — ストリップを縫い合わせる
作業: 伸びやすいネットを引っ張らないように扱います。
手順3 — 端から切り分け、交互に並べ替える
作業: 短冊状に切って、交互に配置して市松風にします。
手順4 — 中心ブロックを縫い合わせる
作業: 細い縫い代でブロックにまとめます。
手順5 — 窓の輪郭を水で消えるしつけ糸で縫う
作業: 本体布に、窓の四角をウォッシュアウェイのしつけ糸で縫います。

チェックポイント: 後で消えるとはいえ、裁断のガイドとして見える程度に縫えていること。
手順6 — 中心を切り抜き、折り返して開口を作る
作業: 四角の内側を切り、縫い代を残して折り返します。
手順7 — 湿らせてプレスし、しつけ糸を消す
作業: 湿らせてから当て布をしてプレスし、しつけ糸を溶かして折り目を安定させます。
手順8 — パネルを裏に当てて縫い留める
作業: 作った市松パネルを窓の裏に入れ、周囲を縫い留めます。
準備から量産へ:枠・押さえ・治具の選び方
「趣味の苦戦」から「仕事として安定」へ移るとき、差が出るのは道具選びです。
- 苦戦しがち: ネジを無理に締めて枠張りする。
- 安定する: 厚みに合った機構(Heavy内枠/クリップ/マグネット)と押さえを使う。
厚物を継続して扱うなら、動画で示されたようなスプリング機構付き刺繍押さえは重要です。押さえが引っかかると、位置ズレや糸切れの原因になります。
枠張りの再現性とスピードを上げたい場合は、作業台側の仕組みも見直します。hoopmaster 枠固定台 キット は治具を固定して同じ位置決めを繰り返しやすく、家庭向けには hoopmaster ホームエディション 枠固定台 のような選択肢があります。
また、枠跡を抑えたい・厚みでフープが閉じにくいといった課題がある場合、マグネット刺繍枠 用 枠固定台 や mighty hoop マグネット刺繍枠 キット のようなマグネット刺繍枠系の運用が検討対象になります。
稼働中の品質チェック(「良い状態」を見分ける)
スタートを押したら放置しないこと。最初の短い時間で異常を潰すのが、失敗縫いを減らす最短ルートです。
稼働中チェック
- 音のチェック: 針がスッと刺さる音か、重く詰まる音か。重い場合は針・厚み・押さえの相性を疑います。
- 裏面チェック(キルト): 少し縫ったら裏を見て、上糸が裏に引き込まれすぎていないか確認します。
- クリアランス: 押さえが厚みの山を越えるときに、生地を押し動かしていないかを見る。
稼働チェックリスト
- 枠の選択: 「Heavy」内枠、またはマグネット刺繍枠を使用。
- 押さえ: 厚物対応のスプリング機構付き。
- 初動監視: 最初の縫いで生地が針に持ち上がらないか確認。
- 下糸: 両面仕上げが必要な場合は上糸と合わせる。
- 停止準備: 異音・針のたわみを感じたら即停止。
トラブルシューティング(症状 → 原因 → 対処)
| 症状 | 主な原因 | すぐできる対処 | 次回の予防 |
|---|---|---|---|
| ツイードで柄が沈む | 糸が細い/凹凸に飲まれる | 水溶性トッピングを追加 | オーガンジー下地+12番糸で設計 |
| キルトで押さえが引っかかる | 押さえのクリアランス不足 | 厚物対応の押さえに交換 | スプリング機構付き押さえを標準化 |
| 縫っている途中で枠が緩む/開く | 厚みで無理に締めた/機構に負担 | いったん停止して枠張りをやり直す | マグネット刺繍枠(mighty hoop)等へ移行 |
| 水溶性スタビライザーがたわむ(アクセサリー) | フレームなしで保持が弱い | フレーム併用の枠張りに変更 | 不織布フレーム方式を定番化 |
| 裏で糸が乱れる(キルト) | 上糸が裏へ引き込まれる特性/糸の組み合わせ | 上糸と下糸を揃える運用を検討 | 両面前提の糸設計にする |
このチュートリアルでできるようになること
厚物は「気合い」ではなく「条件設計」で勝てます。今回の方法を押さえると、次が現実的に狙えます。
- ツイードでも柄が立つジャケット刺繍: オーガンジーの反射+12番糸で視認性を確保。
- 売り物レベルの3Dアクセサリー: 水溶性スタビライザーのたわみを抑え、輪郭ズレを減らす。
- 厚いキルトの枠内キルティング: 専用フープ機構と糸運用で、裏面も含めて見栄えを整える。
布が抵抗してきたら、力を足すのではなく、逃げ(クリアランス)と保持(機構)を足す。針・押さえ・フープ(必要ならマグネット)を揃えることが、安定した結果への最短距離です。
