目次
釜タイミング調整に必要な工具
釜タイミングは「刺繍ミシンの心臓手術」と言われがちですが、実際は“角度”と“隙間”を規定値に戻す精密作業です。ズレがあると、ほんの数十分の1mmの差で、安定稼働とトラブル連発(糸切れ・糸の毛羽立ち・針折れ)が分かれます。標準的なデザインで急に上糸が切れる/針が折れるようになったら、まず釜タイミングの点検が合理的です。
このガイドでは、動画で示された honpo 刺繍ミシン(および同系統の業務用ヘッド)向け手順を、現場での再現性が上がるように整理しました。単に「ネジを動かす」のではなく、感覚チェック(見え方・抵抗感)まで含めて“安定に戻す”ことを目的にしています。

技術者の基本工具セット:
- 大きめのマイナスドライバー(トルクが必要な場面用)
- プラスドライバー(外装・カバー用)
- Z型ドライバー(針板下の狭い箇所に必須)
- 小さめのマイナスドライバー(隙間調整の微調整用)
- あると作業が安定するもの: 集光できるライト(スマホライトは拡散して見えにくいことがあります)/新品の針(動画は針番手を指定していませんが、摩耗・曲がりのある針で隙間を追い込むと再現性が落ちます)

事前理解:何を合わせると「切れ・折れ」が止まるのか
回転釜(釜先)と針は、糸ループを受け渡す“タイミング”が一致して初めて安定します。
- 近すぎる/当たる: 針に干渉して針折れにつながりやすい
- 遠すぎる: ループを拾い損ねたり、糸を引っかけて毛羽立ち・糸切れにつながりやすい
動画で示される基準は次の2点です。
- タイミング角度:202°
- 針先—釜先の隙間:0.2〜0.3mm(上限の目安:0.5mm以内)
準備:分解前の下準備(飛ばすとやり直しになりやすい)
動画の流れに入る前に、最低限ここだけは整えておくと作業が安定します。
- 清掃: ボビンケースを外したら、釜周りの糸くず・絡み糸を除去します。異物が残ると、釜の位置合わせが“異物込み”になってしまいます。
- 安全: 針板やカバーを外す間は、誤作動防止のため電源を切って作業します(動画でも分解工程が先に来ます)。
- 視認性: 釜先と針の関係が見える明るさを確保します。
注意:機械整備の安全
釜周りは鋭利な金属部品が多く、指を挟みやすい箇所です。手回しで主軸を回すときは、ギヤや可動部に指を入れないでください。ネジが固い場合も無理にこじらず、工具が確実に噛んでいるかを確認してから力をかけます。
事前チェックリスト(ネジを触る前にここで止まって確認)
- 電源: 分解作業中はOFF
- 照明: 釜先と針がはっきり見える
- 清掃: 釜周りの糸くず・絡み糸を除去済み
- 工具: ネジ頭に合うドライバーを使用(合っていないとナメやすい)
手順1:針板・釜カバー・ボビンケースの取り外し
ここでの目的は「見える状態にする」ことです。見えないまま調整すると、ズレたまま固定してしまいます。
動画の手順
- 針板を外す: 針周りはクリアランスが低いので、Z型ドライバーで確実にネジを回します。
- 釜カバー(側面カバー)を外す: プラスドライバーで外装ネジを外します。
- ボビンケースを外す: 完全に取り外します。
チェックポイント
- 見え方: 回転釜一式が上から確認できる
- 段取り: 外したネジはトレー等にまとめる(針板ネジの紛失は即停止につながります)
期待される状態
回転釜が露出し、調整対象が一望できます。
手順2:回転釜の固定ネジを「緩めすぎず」に緩める
初心者が失敗しやすいのがここです。目的は、釜を“動かせる状態”にすること。外してしまう/緩めすぎるのは避けます。

動画の手順
- 回転釜の根元にある固定ネジ3本を確認します。
- 黒い手回しノブ(ボタン)を押し回して主軸を回し、ネジが作業しやすい位置に来るようにします。


- 「半回転」だけ緩める: 各ネジを半回転(約180°)だけ緩めます。ネジを抜くまで緩めません。
「半回転」が重要な理由(補足)
動画の意図は、釜が“少し揺れる程度”の可動域を作ることです。
- 緩めすぎ: 釜が不安定になり、位置合わせが再現できません
- 適正: 指で押すとわずかに動くが、勝手にズレない
チェックポイント
- 触感: 釜を軽く押して「少し動く」こと。ガタガタに自由に動くなら緩めすぎです。
期待される状態
釜は“動かせるが安定している”状態になります。
手順3:タイミング角度を202°に合わせる
ここで「タイミング(角度)」を決めます。
動画の手順
- 黒い手回しノブで主軸を回します。
- 機頭側面の角度目盛(度数表示)を確認します。
- 指針が202°を指す位置で止めます。

チェックポイント
- 目盛の読み取り: 指針が202°に合っていることを優先します。
- 維持: ここから先、釜の位置合わせが終わるまで主軸を不用意に動かさないようにします。
期待される状態
角度(タイミング)の基準が決まり、次に“隙間(クリアランス)”を合わせる準備が整います。
手順4:針—釜先の隙間を0.2〜0.3mmに調整する
ここで「スペース(隙間)」を決めます。糸切れ・針折れの両方に直結する最重要ポイントです。
動画の手順
- 釜を手で動かし、釜先が針の真後ろに来るように合わせます。
- 針と釜先の距離(隙間)を調整します。
- 目標は0.2〜0.3mm(0.5mmを超えない)。
- 「バウンステスト」: マイナスドライバーで針を釜側へそっと押し、当たり方で隙間を確認します(大きくたわむのではなく、わずかに当たる感覚)。



この隙間が「糸切れ」と「針折れ」を分ける(補足)
- 遠すぎる: ループを拾いにくく、糸切れにつながりやすい(動画でも「遠いと糸切れ」と説明)
- 近すぎる: 針に干渉し、針折れにつながりやすい(動画でも「近いと針折れ」と説明)
チェックポイント
- 隙間: 0.2〜0.3mmに入っていること(上限0.5mm以内)
- バウンステスト: 押したときに“わずかに当たる”感触で止まること(大きくたわむ=遠すぎのサイン)
期待される状態
釜先が針の後ろで適正な隙間を保ち、糸ループを安定して拾える位置になります。
よくある症状の切り分け(タイミング不良の典型)
この調整を行う理由は、機械が次のような症状で「助けて」と出していることが多いからです。
症状1:糸切れ
- 原因の目安: 釜先が針から遠い
- 対処: 隙間を0.2〜0.3mmへ(0.5mm超はNG)
症状2:針折れ
- 原因の目安: 釜先が針に近すぎる(干渉)
- 対処: 隙間を0.2〜0.3mmへ戻す
再発防止の考え方(作業上の注意)
- 締め付け時のズレ: 次工程でネジを締めるとき、釜がわずかに動きやすいので、位置を保持しながら固定します。
- 枠張り要因: タイミングのせいに見えて、実際は生地が暴れて針が逃げる(当たりやすくなる)ケースもあります。まずは機械側を規定値に戻し、そのうえで枠張り・固定を見直すのが近道です。
段取り(生産視点):本当の原因が「整備」ではなく「運用」な場合
業務で multi needle embroidery machines を回している場合、調整に費やす時間はそのまま損失になります。短期間で何度もタイミングがズレるなら、機械だけでなく運用(固定・段取り)側も点検対象です。
針が当たる状況は、針が貫通しようとする力と、素材が動こうとする力がぶつかって起きます。機械調整を正しく行ったうえで、素材固定の方法も合わせて見直してください。
復旧:組み立てと安定性チェック
設定が出たら、ズラさずに固定して元に戻します。
手順5(動画):釜の固定ネジをズラさず締める
- 指で保持: 片手で釜を押さえ、回転・スライドしないようにします。
- 1本目を軽く締める: まず1本を“仮締め”します(いきなり全力で締めない)。
- 隙間を再確認: 仮締め後に、もう一度0.2〜0.3mmになっているか確認します。
- 問題なければ残り2本を締め、最後に3本とも確実に増し締めします。

手順6(動画):カバーと針板を戻す
- 釜カバーを戻します。
- 針板を戻し、浮きがない状態でネジを締めます(Z型ドライバーを使用)。


復旧チェックリスト(縫う前の確認)
- 固定: 釜の固定ネジ3本が確実に締まっている
- 手回し確認: 手回しで1周回し、金属同士の擦れ音がない
- 置き忘れ: ボビン周りに工具が残っていない
- 針板: 針板が面一で、ネジが確実に締まっている
運転:初回テストと「製品を無駄にしない」確認手順
整備後の初回は、いきなり本番品で試さず、端切れで確認します。
初回テストの進め方(基本)
- まずは簡単なテスト縫い(短いサテンなど)で挙動を見ます。
- 異音がないか確認します(カチカチとした金属音が出る場合は干渉の可能性)。
- 針折れ・糸切れが再発しないかを確認します。
判断フロー:素材の安定性 → 補強 → 枠張りの見直し
「タイミング不良」に見えるトラブルが、実は枠張り不良で素材が動いているだけ、ということもあります。機械を規定値に戻したうえで、次の順で見直すと再発を減らせます。
- 素材が不安定(薄い/伸びる)か?
- はい: スタビライザーの選定・固定方法を見直します。
- いいえ: 次へ。
- 枠張りしにくい品物(厚手の段差、バッグ等)か?
- はい: 無理に通常枠で押さえ込むと、素材が動いて針に負荷がかかりやすくなります。
- 対策案: 状況に応じて固定方法を見直し、必要なら マグネット刺繍枠 のような保持力の高い枠も検討します。
- 量産で位置ズレ・作業ムラが出ているか?
マグネット枠の安全注意
注意:マグネットの取り扱い
マグネット刺繍枠 は強力な磁力を使用します。吸着時に勢いよく合わさると危険です。
* 挟み込み注意: 指を接触面に入れない
* 医療機器: ペースメーカー等を使用している場合は取扱説明に従う
* 電子機器: スマホや磁気カードに近づけない
運転チェックリスト(作業完了のサインオフ)
- 異音: 手回し・低速運転で擦れ音や強い金属音がない
- 再発: 糸切れ/針折れが再発しない
- 安定: 連続運転で釜位置がズレない(ネジの締結が効いている)
品質確認:現場で「良いタイミング」と判断できる状態
成功の目安は次の通りです。
- 安定性: 同じ条件で糸切れ・針折れが出ない
- 再現性: 釜周りを触らずに連続運転できる
- 初動: 縫い始めで引っ掛かりや異音がない
トラブルシューティング(拡張):症状 → 可能性 → 優先対処
まだ不具合が残る場合は、再調整に入る前に次の表で切り分けます。
| 症状 | 可能性が高い原因 | 優先対処 |
|---|---|---|
| 糸を拾わない | 針—釜先が遠い/針の状態や取り付け不良 | まず針の状態・取り付けを確認し、その後に隙間を再確認 |
| 糸が毛羽立つ/切れる | 隙間が遠い | 0.2〜0.3mmへ戻す(0.5mm超を避ける) |
| 金属音が出る/針が折れる | 隙間が近すぎて干渉 | 0.2〜0.3mmへ戻す |
| 厚物で針折れが出やすい | 素材が動いて針に負荷がかかる | 固定方法・枠張りを見直し、必要なら ミシン刺繍用 刺繍枠 の選定を検討 |
まとめ:この調整で現場がどう変わるか
202°と0.2〜0.3mmの基準に戻せるようになると、突発的な糸切れ・針折れに対して、外部の修理待ちに頼らず一次対応が可能になります。
ただし、機械の規定値は“生産を支える土台”です。厚物や固定が難しい案件で繰り返しズレが出る場合は、機械だけでなく運用面(固定・段取り)も含めて見直すのが最短です。必要に応じて 単頭式 刺繍ミシン の運用負荷や、multi needle embroidery machines の導入、保持力の高い枠の活用など、設備と治具の組み合わせで「ズレない条件」を作ってください。
