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刺繍の「位置合わせ」が品質を決める理由
「スタートを押した瞬間、針が左に流れて見えて血の気が引いた」——この感覚、マシン刺繍をやっていると一度は経験します。マシン刺繍はシビアで、いったん縫い込んだ針目は印刷のように「取り消し」ができません。
位置合わせは、商品として成立する仕上がりと、やり直し(ロス)を分ける最大要因です。特に、厚手・凹凸・扱いにくい形状のアイテム——ふわふわのバスローブ、厚手タオル、オーバーサイズのスウェット、重いトートなど——では難易度が一気に上がります。従来の「生地ごと刺繍枠に挟む枠張り」がつらい理由は主に3つです。
- 枠跡(枠焼け): 厚手のローブを強く挟むと、パイルが潰れて圧痕が残りやすい。
- 歪み: 無理に挟むと地の目が引っ張られ、枠から外したあとに波打ち・引きつれが出る。
- 目印が消える: 枠に入れた途端、チョークや印が毛足に埋もれたり、歪んで基準が信用できなくなる。
ここで有効なのが、本記事の核である 「印刷テンプレート+フローティング」 です。実寸の紙テンプレートを“物理的な的”として使い、布を枠で挟まずにスタビライザーの上に貼って固定します。枠跡を減らし、置きたい場所を自分の目で決め、機械側は針先をその一点に合わせる——という役割分担ができます。
この手順は、混同されがちな2つの作業を切り分けます。
- 作業1:人が決める(配置) … 目で見て、テンプレートで「ここに置く」を確定する。
- 作業2:機械が合わせる(位置合わせ) … 針先が、その中心点に来るように機械側で追い込む。
「なんとなく枠張り」から、基準点のある位置合わせに切り替えると、材料ロス・時間ロス・信用ロスが一気に減ります。

Embrillianceで配置テンプレートを作る
このワークフローの土台は、画面上のデータと現物の布をつなぐ“翻訳レイヤー”としての紙テンプレートです。動画では Embrilliance Essentials を使い、デザインを実寸で印刷して中心十字(クロスヘア)を得ています。
手順1 — デザインを実寸(100%)で印刷する
ソフトで File > Print を選びます。重要なのは Actual Size(100%) で印刷すること、そして Page 1 を出すことです。
なぜPage 1が重要か: Page 1には、デザインの見た目に加えて中心十字(軸線)が入ります。この十字が「設計上の中心点(ゼロ点)」です。これがないと、ただの絵を貼っているだけになり、機械側の位置合わせ基準が作れません。

手順2 —(任意)見積り・管理用にジョブシート(Page 2)も印刷する
Page 2には、ステッチ数・色替え回数・寸法などの技術情報が載ります。動画の例では 590ステッチ/色替え2回 が表示されています。
現場のコツ(業務用途): この紙は捨てずに保管すると便利です。
- 確認用: 受注時の仕様確認(ステッチ数・色替え)に使える。
- 説明用: 価格に疑問が出たとき、ステッチ数と色替え回数を見せると「感覚」ではなく「根拠」で説明できます。



よくある質問(コメントより要約):生地色が刺繍の隙間から見える
コメントで「シャツの色が刺繍の隙間から見えてしまうのを防げますか?」という相談があり、投稿者は「デザイン(データ)側の作りで、Embrillianceで厚み(密度)を上げられる」と回答しています。
- 原因の考え方: 刺繍は塗料ではないため、オートデジタイズ等で密度が低いと下地が見えやすい。
- 対処: Embrillianceのステッチ関連(投稿者の案内では stitch タブ)で密度(厚み)を調整してから縫う。
刺繍ミシン 用 枠入れ の精度を安定させたいなら、まず「実寸印刷」と「中心点の見える化」を毎回のルーティンにして、紙テンプレートをオーダー管理(指示書)と一緒に最後まで残すのが効果的です。
刺繍するアイテム側の準備:中心点の強調とピン留め
ここは“離陸前点検”です。失敗の多くはミシンの前ではなく、作業台の段階で起きます。動画の例は白いパイル地のローブで、毛足が長く、印が埋もれやすく、押さえや移動でズレやすい素材です。
手順3 — 中心点を「機械のライト下でも見える」黒点にする
印刷した紙テンプレートの中心十字の交点に、黒のSharpieで はっきりした点 を打ちます。
チェックポイント: 印刷の十字は薄く見えることがあります。ミシンのLEDライト+パイルの陰影だと、薄い線は見失いがちです。針先を合わせるための「的」は、迷いなく見える濃さにしておきます。

手順4 — テンプレートを切り抜き、アイテムに平らにピン留めする
デザインの周囲を切り抜き、刺繍したい位置に置きます。
作業: 紙が浮かないようにしっかりピン留めします。 理由: 厚手・パイル素材は押すと潰れ、持ち運びでも形が変わります。紙をピンで固定すると、その範囲が“局所的な芯”になり、中心点がズレにくくなります。

枠張りとテンションの物理(なぜ「平らに固定」が効くのか)
フローティングでも、重いローブは自重で引っ張られます。紙テンプレートが浮いていると、その下の生地が波打ち、中心点が移動してしまいます。
ツールの切り替え目安(アップグレードの考え方) 厚手ローブを標準の刺繍枠で扱うと、手首の負担や枠跡が出やすくなります。こうした場面では マグネット刺繍枠 brother se1900 用 のようなマグネット刺繍枠が、挟み込みの力任せを減らし、繊維を潰しにくい方向で固定しやすくなります(動画自体は標準枠で実演)。
フローティング:枠張りをラクにする基本手順
フローティングは「生地を枠で挟まない」方法です。スタビライザーだけ を刺繍枠に枠張りし、アイテムは上から粘着で固定して“浮かせる”イメージになります。厚い・小さい・デリケートで挟めないものの定番手法です。
手順5 — スタビライザーだけを枠張りし、枠の真中心をマーキングする
ティアアウェイ(Tearaway)スタビライザー だけを刺繍枠に枠張りします。
チェックポイント(ドラムテスト): ネジを締めたら、スタビライザーを爪で軽く弾きます。
- OK: パンと張った“ドラム”のような高い音。
- NG: たわむ/紙がゆるいような鈍い音。
対処: ゆるいと針が刺さる前にスタビライザーが押し下げられ、下糸側で糸絡み(鳥の巣)が起きやすくなります。
枠張りできたら、付属の透明グリッド(プラスチックの位置合わせ定規)を使って、枠の絶対中心をSharpieで十字(または点)として印を付けます。ここが「機械側のゼロ点」になります。



手順6 — スプレーのりで固定し、中心同士を合わせてフロートする
仮止めスプレー(動画ではKK 2000)を使います。
- 作業: 缶を振り、スタビライザー側に薄く均一に吹きます(機械本体にはかけない)。
- 中心合わせ: ローブ側の紙テンプレートの黒点を親指で触って位置を感じ取り、その点をスタビライザーの中心印に合わせて押さえます。
- ならし: 中心から外側へ向かってシワを伸ばし、浮きや空気だまりを作らないようにします。

判断の目安:スタビライザーとトッピング(凹凸素材向け)
- 1. 表面が凹凸(タオル/ローブ等)か?
- はい: 水溶性トッピング が有効。針目が毛足に沈むのを抑えます。
- いいえ: トッピングは必須ではありません。
- 2. 伸縮が強い(Tシャツ等)か?
- はい: ティアアウェイは歪みやすいので注意(素材に合わせて選定)。
- いいえ: 織物やタオルならティアアウェイが扱いやすいケースが多い。
- 3. とにかく厚くて挟めないか?
- はい: フローティングが現実的。必要に応じて フローティング用 刺繍枠 の考え方(スタビライザーのみ枠張り+上から固定)で段取りします。
事前チェックリスト(ここが揃うまで次へ進まない)
- 印刷テンプレート:実寸(100%)で出ている?
- 視認性:中心の黒点が濃く、ライト下でも迷わない?
- 固定:テンプレートが浮かないようにピン留めできている?
- 枠張りテンション:スタビライザーがしっかり張れている?
- 粘着:薄く“タック”が出る程度にスプレーできている?(濡れるほどはNG)
- 針:本番前に状態確認できている?(厚手は負荷が上がる)
ミシン側の位置合わせ:針先を黒点に合わせる
動画は Brother SE1900 で実演していますが、考え方は多くのコンピュータ刺繍ミシンで共通です。狙いは「人が置いた中心点」に、機械の針先を一致させることです。
手順7 — データを読み込み、手回しで針先の当たりを確認する
刺繍枠をキャリッジに装着し、確実にロックされていることを確認します。
手回し(はずみ車)での確認: 側面のはずみ車を回して、針をゆっくり下げます。
- 重要ルール: はずみ車は 必ず手前方向(Toward You) に回します。逆回しは避けます。
- 針先が紙テンプレートの黒点付近に来るか、ミリ単位で目視確認します。

手順8 — Move(移動)で針先を黒点のど真ん中へ追い込む
液晶画面で Move/Layout(移動) を開き、矢印で枠(キャリッジ)を微調整します。
- 狙い: 針先が、紙テンプレートの黒点の中心に“真上から”来るまで合わせます。
- 考え方: 重いローブが少し斜めに見えても、テンプレートの中心点に針が合っていれば、意図した位置に刺繍が入ります。


よくある質問(コメントより要約):スタートを押すと開始位置が飛ぶ
コメントで「トレースでは合っているのに、スタートを押すと位置がズレて始まる」という相談があり、投稿者は「状況の動画を撮ってグループに投稿してほしい。深刻な不具合でないことを願う」と返答しています。
現場でまず疑うポイント(動画内容に沿った切り分け):
- 引っ張り(ドラッグ): 重い生地がテーブルから垂れていると、キャリッジ移動の抵抗になり、位置ズレの原因になります。開始直後は特に負荷がかかります。
- 装着の甘さ: 枠の装着が不十分だと、待機状態から動き出す瞬間にズレが出やすくなります。
こうした“ズレやすい条件”が多い現場では、保持力を確保しやすい マグネット刺繍枠 のような選択肢が検討対象になります(動画は標準枠での手順解説)。
仕上げ:刺繍開始前の最終段取り
針先が黒点に合ったら、まだスタートしません。
手順9 — テンプレートとピンを外す(必須)
紙を付けたまま縫うことはできません。
- 針を上げる。
- ピンを抜く。
- 生地がスタビライザーから浮かないように注意しながら、紙を外す。
手順10 — 凹凸素材はトッピングを置いてからスタート
刺繍位置に 水溶性トッピング を置きます。パイルの上に“面”を作り、針目が沈むのを抑えます。
- 押さえを下げる。
- 生地の重さを支える: 余ったローブ生地を手で持ち、枠の動きを邪魔しないように“生地の受け”を作ります。
- スタート。

トッピングが効く理由(見た目の差)
トッピングなしだと、タオルやローブのサテンが毛足に埋もれて輪郭が甘く見えがちです。トッピングを使うと、針目が表に出て光が当たりやすくなり、仕上がりがシャープになります。水で溶けるタイプなら後処理もしやすいです。
量産の考え方: タオル10枚などを同じ位置に揃えるなら、毎回“置いて・ピンして・合わせて”を手作業で再現するより、 刺繍用 枠固定台 のように枠を一定位置で固定できる環境があると再現性が上がります。
運用チェック(最後の5秒)
- 確認: 紙テンプレートは外した?
- 確認: ピンは本数確認した?(針の進路に残ると危険)
- 確認: 必要ならトッピングを置いた?
- 確認: 押さえは下がっている?
- 作業: 最初の動き出しは生地の重さを支えてドラッグを減らす。
トラブルシューティング:「なぜ失敗した?」を即判断する
刺繍は準備が9割です。起きやすい症状を、原因→即対応→予防で整理します。
| 症状 | ありがちな原因 | その場の対処 | 予防 |
|---|---|---|---|
| 針が中心点に来ない | ドラッグ/中心印の取り違え | Moveで針先が黒点に来るまで微調整 | 重い生地を支え、作業スペースを確保 |
| 下で糸絡み(鳥の巣) | スタビライザーの張り不足 | いったん停止し、糸を処理して枠張りし直す | ドラムテストで張りを確認 |
| 輪郭がズレる/隙間が出る | 縫製中のズレ(粘着不足等) | 粘着状態を確認し、必要ならやり直す | フローティングの固定精度を上げる/保持力の高い枠を検討 |
| 枠跡が残る | 厚手を強く挟みすぎ | 蒸気で回復を試す(完全に戻らない場合あり) | 本記事のフローティングを基本にする |
| 異音・ガリガリ音 | 枠やピンに針が当たっている | 緊急停止して針経路を確認 | 開始前に周囲の干渉物を排除し、ピンを必ず抜く |
| 開始位置が飛ぶ | ドラッグ/装着不良など | 枠の装着を見直し、引っかかりを解消 | 生地を支え、動作範囲を確保 |
補足:生地色が見える(密度の問題)
黒糸のサテンで白いローブが透けるように見える場合:
- 原因: データ側の密度(厚み)が低い。
- 対処: 投稿者の案内どおり、Embrillianceで密度(厚み)を調整してからテスト縫いする。
仕上がりと作業の成長
実寸テンプレート(紙)とフローティングを組み合わせると、「運」ではなく「基準点」で位置合わせができます。針先を物理的な的に合わせるだけなので、再現性が上がり、失敗が減ります。
趣味なら高価な素材を守れます。小規模ビジネスなら、同品質を積み上げる“工程”になります。
ステップアップの考え方:
- レベル1(技術): 標準枠+スプレーでフローティングとテンプレート運用を安定させる。
- レベル2(道具): 厚手で枠跡や負担が出るなら brother 5x7 マグネット刺繍枠 を検討し、固定の再現性を上げる。
- レベル3(量産): 反復作業が増えたら工程設計(固定台など)を整え、必要に応じて多針刺繍機も視野に入れる。
まずはテンプレート。幾何学を信じて、機械には“合わせ込み”だけをさせましょう。
