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刺繍データ作成で「位置合わせ」が重要な理由
画面上で図形を「目で見て」少しずつ動かして揃えた経験があるなら、テスト縫い前のあの不安も覚えがあるはずです。モニターでは真ん中に見えても、実際に縫うとわずかにズレる。塗り(フィル)の端と縁取りがきれいに合わない。文字の並びがガタつく。繰り返し要素の間隔が揃わない——。
業務用刺繍の現場では、位置合わせは見た目だけの問題ではなく、設計としての必須条件です。ソフト上でオブジェクトがズレたままだと、縫製時の密度や重なりが不均一になり、結果として物理トラブルにつながります。たとえば、重なり過多による針の負荷増(糸切れ・針のたわみ)、引きつれ(パッカリング)、そして重ね縫いで硬くなりすぎる状態(いわゆる「カチカチ」な仕上がり)などです。
Hatch Embroidery Digitizer(Digitizing Level)では、整列(Align)と等間隔(Space)が、レイアウトを「数学的に」整えるための基本ツールです。ガイド線や目測に頼らず、短い操作で再現性の高い配置にできます。

このガイドでは、OML EmbroideryのSueが紹介している操作フローをベースに、現場で迷いがちなポイント(ツールが出ない/効かない/グレーアウトする)を、作業手順として分解します。
- 「状況に応じて出る」仕様の落とし穴: ツールが消えたように見える理由と、出現条件
- 整列の考え方: エッジ合わせと中心合わせをどう使い分けるか
- 「3つ以上」のルール: 等間隔配置が有効になる条件
- 操作ミスを防ぐチェック: 選択数とファイル形式で起きる典型トラブルの回避
目的はシンプルです。ソフトに悩む時間を減らし、ジオメトリ(配置)を信頼できる状態にすること。

はじめに:Hatchで整列(Align)ツールバーはどこに出る?
Hatchを使い始めたばかりの方がつまずきやすいのが、「整列ツールが見当たらない」問題です。上部リボンを探しても出てこない——これは不具合ではなく、Hatchの仕様です。Hatchの整列ツールは、条件を満たしたときだけ表示されます。
手順1:オブジェクトを2つ選択して、整列(Align)を表示させる
整列ツールバーはコンテキスト(状況)依存です。やること(整列対象)がないと表示されません。
操作手順:
- 対象を確認: キャンバス上で、揃えたい要素(例:四角形2つ)を見つけます。
- 選択: ドラッグで選択範囲を作る(または Ctrl+クリック)などで、別々のオブジェクトを2つ選択します。
- 表示確認: 2つ目が選択状態になった瞬間に、上部リボンに整列アイコン群が表示されます。
チェックポイント:
- OK: 左/右/上/下/中心などの整列アイコンがリボンに出る
- NG: 何も出ない → 1つしか選択できていない可能性が高い(または、複数が「グループ」として1つ扱いになっている)

手順2:EMB(オブジェクトベース)で作業しているか確認する
ここは重要です。整列ツールは、オブジェクトの境界(バウンディング)などの情報を使って計算します。この情報が前提として揃っているのがEMBファイル(Hatchのネイティブ/オブジェクトベース)です。
一方で、購入データや他形式から読み込んだステッチファイル(例:.PES、.DST、.JEFなど)は、基本的に「縫い目の集合」として扱われ、同じ考え方でオブジェクト境界を参照できません。そのため、整列が効かない/選択できない/グレーアウトする原因になります。
- EMB(設計図): 図形・アウトライン・設定がオブジェクトとして残る
- ステッチファイル(縫い目の結果): すでに縫い目として固まっており、内部要素を同じ粒度で扱えない
チェックポイント:
- OK: 整列を押すと、オブジェクトが意図通りにスナップする
- NG: 整列がグレーアウト/押しても動かない
- 対処: 可能ならオブジェクト化(認識)を試す、またはステッチファイルを下敷きにして上から作り直し、EMBとして設計する

注意:安全面の考え方(ソフト操作でも縫い事故につながる)
これはソフトの解説ですが、配置ミスは縫い上がりに直結します。
* 危険: 高密度の塗り同士を「整列」で完全に重ねてしまうと、同一点付近を過剰に刺す状態になりやすい
* 結果: 針負荷が増え、糸切れや針のたわみにつながる(縫い品質低下の原因)
* 対策: 整列後は必ずプレビュー(Stitch Player)で縫い順と重なりを確認し、必要なら「重なり除去(Remove Overlaps)」と併用して設計する
基本の整列:左/右/上/下/中心
選択ができたら、次は「何を基準に揃えるか」を理解します。Hatchではコマンドにより、選択グループの境界を基準にスナップする挙動になります。まずは基本の整列を、結果が見える形で押さえましょう。
手順:左揃え(Align Left)と中心揃え(Align Centers)
Sueは2つの長方形で、スナップの動きを見せています。
操作手順:
- 左揃え: オブジェクトAとBを選択し、Align Leftをクリック。2つの左端が同じX座標に揃います。
- 中心揃え: 続けてAlign Centersをクリック。2つの中心軸が一致します。
うまくいったサイン:
- 見た目: 左側に一直線のエッジができる
- 感覚: 中心揃えは「真ん中を通る軸」が2つで一致するイメージ
切り分け(ズレて見えるとき):
- 予想外に「変な位置」に飛ぶ場合、オブジェクトの端に極小の突起(不要な走り縫い/飛び縫い相当の要素)が残っていると、境界として拾われることがあります。ズームして外周を確認してください。


手順:右揃え/上揃え/下揃え
枠(フレーム)や文字の整列、ボーダー作成で頻出です。
操作手順:
- Align Right: 右端を揃える
- Align Top: 上端を揃える(上に「天井」を作る感覚)
- Align Bottom: 下端を揃える(下に「床」を作る感覚)
現場目線のポイント: 下揃え(Align Bottom)は、文字のベースラインを揃える用途で特に有効です。文字を分解して微調整したあとにベースラインが崩れても、下揃えで整えやすくなります。
チェックポイント:
- サイズが違ってもOK: 形が違う(背の高い長方形と小さい四角など)場合でも、下端/上端はそれぞれの「最外周」で揃います
- 軸の取り違え注意: 中心揃えでも、横方向(左右の中心)なのか、縦方向(上下の中心)なのかを意識して選びます(X軸/Y軸の取り違えがズレの原因になります)



現場のコツ:整列→その後に刺繍設定を詰める
効率の基本は「動くものに細工しない」ことです。
下糸・上糸の見え方や、下縫い、ステッチ角度、補正などの細部を詰めたあとでレイアウトを動かすと、せっかく決めた方向性が崩れたり、意図しない重なりが増えたりします。
おすすめの流れ:
- ブロック作成: まず大まかな形を作る
- 整列: Alignでジオメトリを確定する
- 詳細: その後に刺繍設定(密度・下縫い・角度など)を詰める
この考え方は、物理作業にも似ています。ソフト上で配置を整えても、実際の枠張りがズレれば結果は崩れます。量産で再現性を上げたい現場では、ソフト側の標準化(整列)に加えて、物理側でも ミシン刺繍 用 枠固定台 のような治具で位置を揃える運用がよく取られます。
応用:等間隔(Space Evenly)ツールで均等配置する
等間隔はデザインの「リズム」です。人の目は間隔の乱れに敏感で、わずかでも不均一だと全体が安っぽく見えます。
手順1:等間隔アイコンがグレーアウトする理由を理解する
よくあるつまずきが「整列はできるのに、等間隔がグレーアウトして押せない」です。
仕様のロジック:
- 整列(Align): 直線に揃えるだけなので、最低 2つ で成立
- 等間隔(Space): 「間隔」を計算するため、最低 3つ以上 が必要
診断手順:
- 設定を疑う前に、まずキャンバス上で「選択しているオブジェクト数」を数えます
- 2つなら等間隔は成立しません。3つ目を選択してください

手順2:横方向の等間隔(Space Evenly Across)
Sueは3つ目のオブジェクト(ピンクの長方形)を追加して、等間隔を有効化しています。
操作手順:
- 選択: 3つすべてを選択
- 実行: Space Evenly Across(横方向)をクリック
- 仕上げ: 必要に応じて Align Centers を続けて押し、列のブレ(縦方向)を整える
順番の理由: 等間隔は主に「横の隙間(X方向)」を揃えます。整列は「縦のブレ(Y方向)」を揃えます。列を作るときは、この組み合わせが手早く安定します。
チェックポイント:
- 色ブロックの間に見える「余白(ネガティブスペース)」の幅が、同じに見えること


手順3:縦方向の等間隔(Space Evenly Down)+右揃え
箇条書き配置や、縦に積むレイアウトで使います。
操作手順:
- 配置: 3つ以上のオブジェクトを縦にだいたい並べる
- 選択: 3つ以上をまとめて選択
- 実行: Space Evenly Down をクリック
- 仕上げ: Align Right(または左/中心)で列をまっすぐにする
チェックポイント:
- 等間隔は、見た目の重心ではなく「外接境界(バウンディング)」基準で計算されることがあります。細長い突起がある形状だと、数学的には正しくても視覚的に違和感が出る場合があり、そのときは最終的に手動で微調整します。

運用チェックリスト(整列/等間隔のたびに確認)
レイアウト確定前に、次を短時間で確認します。
- 選択数: 整列は2つ以上/等間隔は3つ以上を選択できているか
- 軸: 左右(X)を揃えたいのか、上下(Y)を揃えたいのか
- 順番: 列・行は「等間隔→整列」の順で押したか(推奨)
- ズーム確認: 200%程度で、境界を狂わせる小さな突起がないか
- 重なり確認: 整列の結果、塗り同士が危険に重なっていないか
- 保存: 大きく動かす前に Ctrl+S したか
トラブルシューティング:整列(Align)が選べない/等間隔(Space)が使えない
ツールが効かないときは、ほとんどが仕様条件の未達です。次の切り分けで確認します。
症状1:整列/等間隔ツールが出ない(見当たらない)
- 診断: 上部リボンに整列関連のエリアが出ていない
- 原因: 選択数が不足(0〜1個)
- 対処: 2つ以上 をドラッグ選択する
- 現場のコツ: 2つ選んだつもりでも出ない場合、複数要素が「グループ」として1つ扱いになっている可能性があります。必要なら解除(Ungroup)してから再選択します。
症状2:等間隔ツールがグレーアウトして押せない
- 診断: 整列は押せるが、等間隔が薄く表示される
- 原因: 「3つ以上」条件を満たしていない(2つしか選択していない)
- 対処: 3つ目を選択してから実行する
症状3:整列ツールがファイル上で効かない
- 診断: ボタンを押しても動かない/選択できない
- 原因: ステッチファイル(.DST等)を開いており、EMB(オブジェクト)として扱えない
- 対処: 可能ならオブジェクト化(認識)を行うか、下敷きとして使い、上からEMBとして作り直す

なぜ起きる?(同じミスを繰り返さないために)
ステッチファイルは「完成した縫い目の集合」で、内部の要素をオブジェクトとして自由に編集しにくい形式です。大きくレイアウトを変える必要がある案件では、ステッチファイルを無理にいじるより、下敷きにして新規にオブジェクトを作るほうが、整列/等間隔を含めて結果的に早く安定します。
準備:作業前に効率を落とす要因を潰す(デジタイズ編)
整列はボタン操作だけでなく、作業環境の準備で精度とスピードが変わります。
作業を安定させるための準備:
- マウス: トラックパッドより、細かいドラッグ選択が安定します
- 画面表示: ツールバーが折りたたまれない解像度・表示倍率にする
- グリッド表示: 整列ツールが主役でも、グリッドは「第二の目」として役立ちます(必要に応じて)
- 物理側の印付け: ソフト上の中心と、刺繍枠側の中心が一致して初めて意味があります。布の中心位置を分かるようにしておくと、後工程のズレを減らせます。
ソフト→現物の橋渡し: ソフトで配置を完璧にしても、枠張りがズレれば結果は崩れます。現場では、物理側の再現性を上げるために 枠固定台 を使って位置決めを標準化する運用もあります。
事前チェック(整列を始める前)
- ファイル形式: EMBとして作業できているか
- グループ: 個別に動かしたい要素がグループ化されていないか
- 基準物: 動かさない基準(背景など)を決め、誤って背景を文字に合わせない
- ズーム: 全体と隙間の両方が確認できる倍率か
- 戻れる状態: 別名保存やバージョンを作ってから大きく動かす
判断フロー:整列(Align)と等間隔(Space)をいつ使う?順番は?
アイコンが多くて迷うときは、次の順で判断します。
- 質問:全体が「曲がって見える/揃っていない」?
- YES: 整列(Align)
- 操作: 複数選択 → 左/右/中心/上/下
- 質問:間隔が「バラついて見える」?
- YES: 等間隔(Space)
- 操作: 3つ以上選択 → Across/Down
- 質問:行・列をきっちり作りたい(ワッペンシート等)?
- YES: コンボで使う
- 操作: 等間隔(Space)→整列(Align) の順
仕上がり品質に直結する:レイアウト精度と縫い品質
縫い品質が悪いとき、テンションやスタビライザー(刺繍用安定紙)を疑いがちですが、原因が「配置のジオメトリ」側にあることもあります。
- 引きつれ(パッカリング): 間隔が不規則だと、布への負荷が偏りやすくなります。均等配置は負荷分散に寄与します。
- 位置ズレ(レジストレーション): 塗りと縁取りがソフト上でズレていると、糸の引っ張り(プル)で隙間が強調され、白地が見えるなどの不良につながります。
システムとしての解決: 安定した量産には、ソフトの配置(整列/等間隔)だけでなく、枠張りと作業標準化まで含めた 枠固定台 の考え方が有効です。
注意:マグネット刺繍枠の安全
安定性向上の選択肢としてマグネット刺繍枠を検討する場合、磁力が強い製品があります。
* 指を挟む危険があるため、取り扱いは慎重に行ってください
* ペースメーカー等の医療機器や精密機器には近づけないよう注意してください
* 取り外しは「持ち上げる」のではなく、ずらして分離する意識で行います
まとめ(得られる結果)
Hatchの整列(Align)と等間隔(Space)を使いこなすことは、単なる「見た目の整理」ではありません。縫い上がりの再現性と安全性を上げるための、設計の土台作りです。
この手順を押さえると、次ができるようになります。
- ツールを出せる: 2つ選択して整列ツールバーを表示
- 狙って揃えられる: 左/右/上/下/中心でジオメトリを固定
- 均等配置できる: 3つ以上選択して等間隔を有効化
- 原因を即判別できる: グレーアウト=選択数不足、効かない=ファイル形式の可能性
次の一手(ソフトの精度を現物に反映する): ソフト上で「デジタルのロック」をかけたら、次は「物理のロック」です。布が枠内で滑れば、どれだけソフトで揃えても崩れます。
そこで、より安定した枠張りを目指す場合に マグネット刺繍枠 は有力な選択肢になります。ねじ式の刺繍枠に比べ、布目を歪めにくくフラットに保持しやすい一方、枠跡(枠の圧痕)や取り扱い安全には注意が必要です。
ソフトでは「クリック」で揃える。現場では「クランプ(固定)」で揃える。これが、業務品質への最短ルートです。
