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ベクターから刺繍データへ:手動デジタイズを「縫える形」に落とし込む実務ガイド
きれいなデジタイズは、画面上でノードを置く前にほぼ決まります。糸と素材には物理的な限界があり、「モニターで良い」=「現物で良い」ではありません。
ここでは Wilcom EmbroideryStudio e4.2 の実例ワークフローとして、ベクター原稿の計測、Column/Input A による幾何学サテンの構築、ステッチ間隔(密度)の調整、そして自動文字ではなく手動での文字デジタイズまでを、現場で再現できる形に分解します。

事前理解:「なぜその操作が必要か」
「Auto-Digitize(自動デジタイズ)」があるのに、なぜ手動で作るのか。理由はシンプルで、刺繍機はピクセルではなく“物理”で動くからです。自動機能は、不要なジャンプや局所的な密度の跳ね上がりを生みやすく、糸切れ・針折れ・硬い仕上がりにつながります。
動画のように、ベクターを計測して(例:ボーダーの 31.54 mm、線幅 1.83〜1.85 mm)基準値としてステッチ間隔を 0.40 mm に置くと、結果が安定します。安定=トラブル減=再現性のある量産につながります。
Part 1:事前準備(物理条件と消耗品)
ソフトを触る前に、「このデータが載る現場」を決めます。デニム向けの設定をそのまま鹿の子やジャージに当てると、同じデータでも簡単に崩れます。
見落としがちな“消耗品”が結果を決める
上手いデジタイザーでも、物理側の選択が悪いと限界があります。最低限、次を揃えてください。
- 針: 素材に合わせて先端形状を選ぶ(ニット=ボールポイント、布帛=シャープ)。ロゴ用途では 75/11 が基準になりやすいです。
- スタビライザー(裏打ち): 仕上がりの土台。Tearaway を重ねるより、Cutaway 1枚のほうが安定する場面が多いです。
- 仮止めスプレー/バスティング: 浮かせ貼りやズレ防止に有効。
- 糸品質: ポリエステルは高速でも安定しやすく、レーヨンは光沢が出る反面、条件によっては切れやすいことがあります。
注意:安全面(針・破片)
極小のサテン文字は同一点付近を繰り返し穿刺しやすく、密度が高すぎたり速度が高すぎたりすると、針が発熱・曲がり・破断するリスクが上がります。破片飛散は危険です。保護具の使用と、安全カバーの無効化をしない運用を徹底してください。
作業前チェック(ソフトを開く前)
- 素材の安定性: 安定(キャンバス等)か、不安定(機能性ニット等)か。
- 枠張りの制約: しっかり枠張りできるか、枠跡が出やすい素材か。
- 仕上げの糸処理: 小文字の間など、手切りが発生しやすい前提でハサミの準備。
Part 2:計測と幾何学サテンの精度
Step 1 — 原稿を計測する(Video: 00:00–00:10)
勘で幅を決めると、後工程で必ず破綻します。動画では Measure ツール(ショートカット M)で、ベクターの実寸を読み取っています。
- 青いボーダー長: 約 31.54 mm
- 線幅(厚み): 約 1.83 mm〜1.85 mm

ここが重要な理由: サテン幅が 1.0 mm 未満 になると、下縫い(アンダーレイ)や密度の考え方を変えないと“ミミズ状”に見えやすくなります。一方で 7.0 mm 超 は分割(スプリットサテン/タタミ分割)を検討しないと引っ掛かりや糸浮きの原因になります。今回の 1.85 mm は「標準サテン」で安定させやすいゾーンです。
Step 2 — Input A でボーダーを組む(Video: 00:11–02:00)
動画では Input A(Column Tool) で、サテンの左右レールを手で定義しています。通常の塗りつぶしより、角でのステッチ角度(糸の反射=見え方)をコントロールしやすいのが利点です。

チェックポイント:角で差が出る(コーナー管理)
角は品質差が最も出ます。
- 起きること: 急角度で曲がると、内側は針落ちが密集し、外側は広がります。
- 対策: オーバーラップ(重なり)を意識して設計します。
- 画面チェック: 拡大して、内側の点が同一点に積み上がっていないか確認(硬い“団子”になりやすい)。
- 仕上がりの兆候: 角が異様に硬い/盛り上がる場合は、密度過多または重なり過多の可能性が高いです。
Step 3 — 中央形状をまとめる(Video highlight: ~01:54)
中央の赤い三角形は統合され、狙いは幾何学の一貫性です。

現場のコツ:量産は「リズム」が勝つ
ノードを1点ずつ延々と直していると、工数が膨らみます。基本の流れを固定してください。
計測 → 角度設計 → Input
Part 3:密度(ステッチ間隔)の基準作り
Wilcom では「密度」は Stitch Spacing(針落ち間隔)として扱われます。
Step 4 — ステッチ間隔を設定(Video: 01:30–01:40)
Object Properties で以下を設定しています。
- Stitch Spacing: 0.40 mm
- Min Length: 0.40 mm

0.40 mm を基準にする理由
一般的な 40wt 刺繍糸では 0.40 mm が基準として扱いやすい値です。
- 0.35 mm 未満: 糸溜まり・硬化・針負荷が増えやすい領域
- 0.45 mm 超: 被覆不足(生地が透ける/ギザつき)になりやすい領域
判断の流れ:素材条件を数値に落とす
基準 0.40 mm から動かすときは、次の順で考えると迷いにくいです。
1. 高コントラストか(例:白糸×黒生地)?
- YES: 0.38 mm に詰めて被覆を優先
- NO: 次へ
2. 不安定・伸びる素材か(鹿の子、ジャージ等)?
- YES: 0.40〜0.42 mm を目安にし、密度を詰めるより アンダーレイ(Edge Run + Center Run 等)で土台を作る
- NO: 次へ
3. キャップ用途か?
- YES: 0.42〜0.45 mm を目安に(曲面+高密度になりやすく、歪みが出やすい)
工程ボトルネックの視点:設定が合っても不安定なら「枠張り」を疑う
密度を詰めても結果が揃わない場合、原因が枠張り側にあることは珍しくありません。摩擦式の枠はズレやすく、デリケート素材では枠跡も出やすいです。
- 改善案: 繰り返し生産では マグネット刺繍枠 に切り替える現場もあります。ネジ締めで潰して固定するのではなく磁力で保持するため、繊維を潰しにくく、地の目を真っ直ぐ保ちやすいのが利点です(幾何学ロゴでは特に効きます)。
Part 4:手動文字(ブランド品質の基準)
自動文字は便利ですが、ロゴ文字は手動が強い場面が多いです。
Step 5 — 文字の線幅を計測(Video: 02:46)
動画では "L" の幅を 4.22 mm と計測し、標準サテンで成立することを確認しています。

Step 6 — 「LOGO DESIGN」を組む(Video: 02:46–05:30)
各文字を Input A で作成しています。

「O」のカーブ:流れ(見え方)を崩さない
動画の ~03:20 の "O" は、カーブの滑らかさが要点です。
- オーバーラップ: 始点と終点をわずかに重ね、継ぎ目を見えにくくします(目安として数針分の重なり)。
- 角度の考え方: ステッチ角度は放射状に自然につながるのが理想。角度が急に切り替わると、糸の反射が変わって文字が“割れて”見えます。

「S」の切り返しを安定させる
"S" は角度が反転しやすく、負荷が集中しがちです。
- リスク: 糸切れが出やすいポイント
- 対策: 内側カーブでの詰まりを避けるため、Short Stitch(短針)系の制御が効く状態にしておき、内側の密度が過剰にならないようにします。

Step 9 — 極小文字の難所(Video: 05:38–06:40)
小さい "NEPAL" は幅が 0.75 mm しかありません。


注意:0.75 mm のサテンはリスクが高い
- 物理的な問題: 針の太さと同等クラスの幅でサテンを成立させようとすると、針落ちが極端に近くなり、糸溜まり・潰れ・判読性低下が起きやすくなります。
- 考え方: このサイズは「複雑にしない」ほど読みやすくなることがあります。読みやすさが出ない場合は Run Stitch(ラン)や Triple Bean(3重ラン)など、単純な表現を検討します。動画のようにサテンで行く場合は、針の逃げを作るためにステッチ間隔を 0.45 mm 以上 に広げる判断も現実的です。
Part 5:シミュレーションで事前検証
Step 10 & 11 — シミュレーション(Video: 07:25–07:45)
Stitch Player(Shift+R)で縫製順を確認します。


チェックポイント(縫う前の最終確認):
- レイヤー順: 塗りが先で、ボーダーが後になっているか
- トリム効率: 2mm 未満の近距離移動にトリムが多発していないか(機械時間が伸びる原因)
- パス取り: 次の文字へ最短で移動しているか(無駄な移動=糸切れ・糸引きの原因)
Part 6:準備(PCから刺繍機へ)
ここで理論が現物に変わります。
素材×スタビライザーの基本
- 伸びるニット: Cutaway が基本。Tearaway だと洗濯後に歪みやすいです。
- 布帛シャツ: Tearaway でも成立しやすいですが、シャープさ優先なら Cutaway が有利な場面があります。
枠張りが結果を揃える
同じデータでも、3枚のシャツで位置がズレれば品質は落ちます。
- 作業の標準化: 現場では 刺繍用 枠固定台 を使い、治具で胸位置を毎回同じにする運用がよく行われます。
注意:マグネットの安全
マグネット枠に切り替える場合、磁力は業務用で非常に強力です。
* 挟み込み: 接触面に指を入れない
* 健康・機器: ペースメーカーや精密機器に近づけない
準備チェックリスト
- 針: 新品の 75/11 を装着(極小文字は 65/9 を検討)
- 下糸(ボビン糸): 残量 50% 以上(途中切れを避ける)
- 糸掛け: テンション皿に確実に入れ、一定の抵抗感があること
- デザイン向き: コントローラ上の上下左右が枠の向きと一致していること
Part 7:運転(縫製中の監視)
感覚で監視する
放置しないのが基本です。
- 音: 一定のリズムは正常。重い打音が続くなら、針の切れ味低下や密度過多の可能性。
- 糸の出方: スプールから滑らかに出ているか(急な引っ掛かりは糸切れの前兆)。
極小文字の見張り
"NEPAL" のような極小部に入ったら:
- 減速: 速度を 600 SPM に落とします。極小サテンは高速だとループや潰れが出やすくなります。
運転チェックリスト
- 速度: 極小文字区間で手動減速した
- 観察: 最初の 100 針で下糸が表に引き上がっていない(テンション確認)
- 安定: 生地がバタつかない(バタつくなら枠張り不足)
Part 8:トラブルシューティング
現場で失敗したときは、即「データが悪い」と決めつけないで、原因を切り分けます。
| 症状 | 原因(可能性が高い順) | 対策 |
|---|---|---|
| 鳥の巣(裏で糸が絡む) | 上糸がテンション皿/天秤に正しく入っていない | 上糸を最初から掛け直す。糸掛けは押さえを上げて行う |
| 角が割れる(生地が見える) | Pull Compensation が不足、引き込みが発生 | ソフト: Pull Comp を 0.15mm 追加。物理: Cutaway を強める |
| 小文字(NEPAL)が読めない | 糸が太い/幅が狭すぎる | 物理: 60wt + 65/9 を検討。ソフト: 0.45mm 以上に広げる、またはラン系に変更 |
| 枠跡(リング状の跡) | 摩擦枠を締めすぎ | スチームで戻す。予防: マグネット刺繍枠 で圧迫固定を避ける |
| サテンボーダーがボコつく | 密度が高すぎる | 0.40mm → 0.42mm または 0.45mm に変更 |
| 「S」で針折れ | 密度・短針の詰まりで針が逃げる | 針交換。Wilcom 側で Short Stitch 系の制御を有効にし、内側の過密を避ける |
結果と量産への展開
この案件で「成功」と言える状態は次の通りです。
- 幾何学がシャープ: 三角の先端が丸ダレしていない
- 「O」がきれい: 継ぎ目が見えない
- 極小文字が判読できる: 腕の長さ程度の距離で読める

量産で効いてくるのは「枠張り時間」
単発サンプルから 50枚・100枚の量産に移ると、ボトルネックは変わります。デジタイズは一度きりでも、枠張りは毎日発生します。
量産へ移行する現場では、刺繍用 枠固定台(例:hoopmaster 枠固定台)などの治具システムとマグネット枠を組み合わせ、位置合わせの再現性を上げることがあります。せっかく 1.83 mm のボーダーを正確に計測してデータを作っても、枠張りが斜め・引っ張り過ぎで台無しになるのは避けたいところです。
ソフトの技術(計測・Input A・間隔設定)を磨きつつ、ハード側(枠張り・治具・安全運用)も同じくらい重視する。それが安定した刺繍品質への近道です。
